2021年1月11日月曜日


 コラム199 <この小さな島国に原発54基?———その② >

 

 むずかしいことを多く知って中途半端な専門家まがい、知識人まがい、もの知りまがいになって、結局何も行動しないよりは、基本的なことを知って何か行動した方が意味がある———これは私の若い頃からの考え方だ。コラム198の二冊に続いて読んだのが、原発に関連した岩波ブックレット6冊である。

 ①      今こそエネルギーシフト          岩波ブックレット 810
 ②      取り返しのつかないものを取り返すために    〃      814
 ③      福島原発震災のまち              〃      816
 ④      ドイツは脱原発を選んだ               〃      818
 ⑤      原発への非服従                〃      822
 ⑥      さようなら原発                〃      824

 

 今の総理大臣の出身は私の生まれ育った町と同じ秋田県湯沢市だそうである。以前は湯沢市と秋の宮(村だったか町だったか)は別の町だったが、合併されて今は同じ湯沢市となっている。秋の宮には私の建築の師匠白井晟一が設計した秋の宮村役場があり、近くには稲住温泉、雄勝町役場もあって、縁(ゆかり)の地でもある。もうしばらくして、体調・気調が戻ったらどうにも解せない問題を整理して一国民、一同郷人として、直訴状を出そうと思っている。田中正造の時代とは違うから幟(のぼり)を立てて迫る訳にはいかないだろうが、秋の宮では今、初の総理大臣誕生ということであちこちに幟が立っているらしい。皆、福島原発のことばかりを問題にしているが、それさえももう関心が薄れ始めている。それ以前にも危ないところ、危なかった所があちこちにある。
 福島第一原発の問題がまだ解決不能状態のまま、廃液の行き場をも失い、水で薄めて海に流すしかないといった状態にまで追いつめられているのに、前首相自らが出向いて原発を海外に輸出しようとしているなどは、単なる経済のためなのか、それ以前に人間としてあまりに節操を欠いた姿勢に思えるが、その魂胆はいったいどこにあるのか。トラブル続きの核燃料サイクル、それでも六ケ所村に長きに亘って厖大(ぼうだい)な金をつぎ込み続けて核廃棄物再処理施設をどうしても作ろうとしている真の目的は何なのか?サイクルしたところで、煙のようにどこかに消えて無くなる訳ではないから、そのあとにまた残る第二次核廃棄物はどうするつもりなのか、何か不測の事態でも起きたら、日本が亡びるだけならまだいいが、地球規模で亡びる可能性すらある。六ケ所村周辺の住民達は大型工業開発の名の元に、何せ寒村のこと故安く土地を買いたたかれ手離したが、実は今日にしてみれば核燃料廃棄物処理工場建設のためであった。バカげたことに当初あの地帯に東北電力、東京電力の手で10基もの原発が予定されていたという。何故そんな計画が立てられたものか、勿論国もかかわりを持っている。聞いてみたいことが山程ある。少なくとも国家の歩む方向を決定づけてゆく国会議員と名のつく者達にとって、これ位の基礎的歴史の事実に目を通し、これまでいかなることが行われてきたかを知っておくのは最低限の義務であり、責務であると思う。

 日本の国策には、この国をどのような国にしていきたいかという大きな夢や展望がない。おめかしして、桜でも梅でも見たい者は観るがいいが、邪念まじりで観られるよりも無心に愛でられる方が花の心はどれ程喜ぶかしれない。原発の話に話を戻せば、中曽根さん、元々あなたが火をつけたことなのだから、一応の結末を見るまでは、まだ死んではいられませんよ。