コラム163 <顔を洗うが如く>
私は毎朝夕、聖書を二章ずつ読むことにしている。時には仏典の時もあるが、これを日課として欠かさない。顔を洗うが如く、心も毎日洗う必要があると思うからである。反省とは心を洗い、新しい自分に向かうことだが、なかなか理想通りにはいかない。それでも洗わぬよりは、まだましだろう。
〝あなたはクリスチャンですか?〟と聞かれることがある。
そう問われると、キリスト様に申し訳ない気がするから、〝そうです〟とは言わないことにしている。もしもキリスト教が弾圧を受けたなら、私は隠れキリシタンになるであろうし、仏教が弾圧を受けたなら、私は隠れ仏教徒となるだろう。なんとも不埒(ふらち)な存在だが、ただただ人間になりたいだけである。そのためにも、人間真理の源流に一歩ずつでも近づきたいと念うのである。