2020年1月13日月曜日


コラム147<都会の悲しみ>

ミミズクの大きな眼には写ったろう

都市の非情と
都会の悲しみ

 
どこから飛んできたものか、都内のあちらこちらで一羽のミミズクが目撃されていた。ミミズクはこんな大さわぎになるとは思わなかっただろうし、人間達の捕獲作戦に合おうとは夢にも思わなかったに違いない。
 数日後、このミミズクがやっと発見された。それも死んだ姿で……。
 都会のことだ。エサにありつけなかったのかと思ったが、そうではなくて、車にはねられたことが死因だったらしい。

 20代の頃に住んでいた高島平団地でのことが想い出された。駅前の広い道路を渡ろうとしてひかれたのであろう。一匹の犬がはじき飛ばされ、横たわったまま、後続の車に次々と ベシャッ、ベシャッ と音を立てながらひきつぶされていく姿を……。ごうごうたる車の流れの脇で、私は何もできずに呆然と立ちつくしていた。

 住まい塾の活動をスタートした数年後から、年の半分位を信州八ヶ岳での山中生活が始まった。山中ではたびたび鹿に遭遇する。特に多いのが霧の深い夜か、冬の雪道だ。ほとんどが510頭で群れている。道路にいる時もあれば、何頭も続いて横切っていく場合もある。車を停めて、窓を開け、〝車に気を付けるんだよ!〟などと声をかけても鹿はあまり人間をこわがらない性格のようで、かわいい顔でこちらを じーっと、見つめていたりする。

 ある日の夜、小淵沢のインターを出て、鉢巻道路に入った所で、車にはねられたのであろう、鹿がぐったり横たわっていた。咄嗟に数十年前の、あの犬のことが頭をよぎった。私は脇に車を停め、これ以上ひきつぶされないように、せいいっぱいの力で道路脇の草むらまで引きずり、横たえた。はねられて間もなかったのであろう。体はまだあたたかく、しなやかだった。そう大きな鹿ではなかったが思いの外、重かった。
 以来、冬の夜道では時速50キロ以下で走行するのを守り通している。鹿の群れを発見してもブレーキが間に合うように……。

 ミミズクさわぎで、過去の二つの事件が想い出されたのである。あのミミズクだって大さわぎせずに、飛びたいように、行きたい方に行かせておけば、今頃どこか気に入った森にでもおさまって生きていられたかもしれないのに……。
 現代は悲しい時代だ。