2016年9月5日月曜日


コラム 53  小さな命 その②  

「一切衆生 悉有仏性(イッサイシュジョウ シツウブッショウ)」
――涅槃経(ネハンギョウ)―― 

一切の生き物(あるいは万象万物)には悉(ことごと)く仏性がある、というのだけれど、野菜でも何でも無闇に生命を無駄にするまい、虫もやたらに殺すまいと思っていても、余して腐らせることしばしばだし、蚊に刺されりゃパシリとやるし、アブにやられりゃ咄嗟にバンとやったりする訳です。本当じゃないなぁ・・・・・と思うんですね。
でもジャイナ経のお坊さんなんか、こういう時どうするんでしょうね。アブもよし、ハチもまたよし、刺されてもあぁよしよしといった境地なんでしょうか。 

 
一切衆生 悉有仏性・・・・・と何度も読んでいると、肉や魚に限らず我々が口にする食材のことごとくが生命あるもの、仏性あるものとなって、さらに仏教の五戒のひとつ「不殺生戒」と重ね合わせると、生きるのを諦めなければならないような気分になってきます。こんな感覚が我々の小さい頃までは色濃くあった〝ものを無駄なく、大切に・・・・・〟といった日常生活の心掛けの中にも、又いのちぎりぎりの断食苦行や一汁一菜といった粗食思想の原点にもあったのではないかと思われてくるのです。 

お釈迦様は難行苦行の末に苦楽中道を説いたことになっています。簡単にいえば何事も程々に・・・・・ということなのでしょうが、しかし苦行の末につかんだ境地だからこそ悟り得たのであって、凡庸なる人間が凡庸なる生活の中でいきなり苦楽中道などとやってみたところで、中身は全く違うものに違いありません。
それでもこの食べ過ぎ、呑み過ぎ、持ち過ぎ、しゃべり過ぎ・・・・・と、放っておけば何でも過ぎてしまう世の中にあっては、心がけぬより心がけた方がはるかにいいと思うのです。 

今、玄関先の地べたに黒スズメバチが巣を作って、プ~ンプンプン、プ~ンプンとやっています。殺虫剤で夜襲などかけるようなことはするまい、そっとしておけばそれで済むものをあわてて殺すようなことはするまい、摂理のもとにみんなまもなく死んでいくのだから・・・・・山中に居るとこんな心境になってきます。いよいよ私も悟りの日が近いか・・・・・。