2016年5月23日月曜日


コラム 38 <秋田第2放送そして二本の川-その②>

私は秋田県の湯沢市に生まれた。小学三年の夏に、今は横手市に合併されたが隣町の十文字町に引っ越した。
その家のすぐ裏には二本の川が流れていた。一本の方にはフナやドジョウが沢山いて、雨あがりには小さな魚が網いっぱいにかかったものだった。水も比較的きれいで水量も多かったから、小さい頃にはその川で泳いだり、広くもない橋の下を潜ったりして遊んだものだ。もう一方は川というよりも自然にできた細い水路(この地方ではせきと呼んでいた)のようなもので、どこから湧き出ていたものか深々と透明な冷たい水をいつも湛えていた。清過ぎて魚はいなかったが、夏にはキュウリやトマト、スイカなどを浸けてよく冷やしたものだった。 

だがある日、裏手に豆腐屋が出来た。その頃は廃水規制など無かったから二本の川はたちまち濁り、澱んで、川底は白い豆腐滓でおおわれた。ドジョウ達は口をパクパクし浮いたり沈んだりしながら喘いでいた。今もその時の光景が脳裏に焼きついている。最後にはどういう訳か小さなドジョウの子どもばかりとなった。
何年もしないうちに川は完全に死んだ。あの泳いだ川も、清冽な湧き水のせきも想い出の彼方に消えた。今はその面影すら無い。こんな残酷な光景は日本の至るところにあっただろう。
あの川で死に絶えていったドジョウやフナ達は、人間達をどのように見ていたものだろう。半世紀前の話である。こんな小さなことばかりではない。償いようのない罪を人間は自然に対してどれ程犯してきたことだろう。