2016年5月2日月曜日


コラム 35 <侘び・寂び> 

ワビもサビも、あれは金持のやることでね。貧乏人が侘びても侘びしいばかりで、だいたい様にならない。金持でなくてもいいけれど、少なくとも心の方だけは豊かでないとね。 

侘び茶を完成したと言われる利休さんも、その師匠の紹鷗さんだって、金持だからね。茶の湯の道はだいたいそうだね。北野天満宮の大茶会に野点の席を連ねたというノ貫(ヘチカン)みたいな変わり者もいるけれど、しかし詳しくは知らないが、根が貧乏ではあのような侘びに徹した茶は点てられない。一方、ワビにもサビにもからっきし縁のない大金持もいる。面倒だから併せて〝ワ・サ・ビの効かぬ人間〟と云おう。 

 
磨きに磨きをかけて・・・・・っていうのも、同じ注意が必要だ。中身が無いのに磨いてばかりいると、磨り減るばかりでね。何でも中身が肝心ってことだ。