2015年10月19日月曜日


コラム 7 <都会の孤独、山中の孤愁>
 
  
 ウソがひんぱんにやってくる。つがいの親鳥の他に子が三羽、他に一羽肥立ちが悪いのか、いまだに親鳥について廻って、羽根をふるわせながらピーピーとエサをねだっている。
 外で本を読んでいると卓上までやってきて、“あなた、だれ?”といった顔付でキョトンとしている。親鳥がそうすると小鳥も恐怖心をなくすのか、同じくそばまでやってきて卓上のヒマワリをついばんでいる。ほんの目と鼻の先だ。 

 こんな時、私は野鳥達と自分は同じ世界に生きているのだと実感する。
 昨日などはパンを食べている脇にやってきて、“それ、なあに?”といった表情で見つめていた。“パンだよ、パン・・・・・パンっていうんだよ”と言ったら“ふ~ン”と判ったような顔をしてパラパラと置いたエサをついばみ始めた。まるで身近な仲間と一緒に食事をしているようだ。 

 朝スクリーンを上げると、枝の上でフィー、フィーとやっている。朝食の時間だ。私は窓を開けて、“おはよう!”と言う。樹々達ともあいさつをかわす。登り始めた太陽にも、ありがとうと言う。まもなくコガラ、ヤマガラ、シジュウカラ、キジバト達が集まってくる。時々リスも姿を見せる。少し離れた向こうには鹿だって・・・・・。夜には月も、星も、皆語り相手になる。 

 都会の姿が思い浮かぶ。数限りない人間が行き交っている。一人一人が孤立して重ならず、仕事のこと以外ほとんど無為にして他にこれといって為すこともない。そわそわと忙しい中では、人と人とのなごやかで素朴な交流も生まれない。あるのは明らかに群衆の中の孤独だ。
 群衆の中にあるものを「孤独」と呼ぶなら、山中にあるのは都会が失い過ぎた一人でいることの「孤愁」である。かえってこの方が、人間本来の姿なのかもしれないと思ったりする。