2015年10月5日月曜日


コラム 5 <恵みの雨に地球を思う-その①>
 

   今日は猛暑が続いたあとの久々の雨だ。火照った樹々はシャワーを浴びて息をつき、大地はひたひたと水分を補給する。文字通り待ちに待った恵みの雨だ。山は急速に冷えて、本来の涼しい風を運ぶ。

 山中に暮らしていると、年々ひどくなるこの暑さはきわめて人為的なものだと判る。
 標高1600メートルの森の中にあっても樹々の伐られた敷地に立つと、同じ標高かと思われる程に暑い。

 かつては窓を閉めて走る車など無かったと地元の人は言うが、今では窓を開けて走っている車はほとんど見かけない。クーラーをかけ、排気ガスと熱風を吹き出しながら涼しい高原地帯を走り抜けてゆく。 

 開発の手が延びて年々森が失われる。道路、別荘地開発、それに補助事業だというが理由のよく判らない幹線道路沿いの大規模な伐採公共工事。
 涼風を求めて来る別荘地内にあっても肝心の樹木を皆伐して平気な者が増えている。
 地球規模の・・・・などと大袈裟なことを言わずとも、ここに生活しているだけで高原の涼しさは人為的行為によって確実に失われていっていると判る。 

 人工物に埋め尽くされた都市など、もう救い難い程天意が届かない。人間は大自然の中のほんの小さな存在に過ぎない、などと言ってはみてもそんな実感はどこにも、誰にも無い。自然の緑は粗方失われ、厖大な数の車、汽車、電車、バス、そして小さな住宅から巨大な超高層ビルに至るまで、あらゆる建物が熱風を吐き出す。最近では下へ下へと潜り込んでいく地下鉄及び駅舎までがこの対象だ。 

 これで熱くならない訳がないだろう。内を冷やして益々外を熱くする。判っちゃいるけど止められない。この悪循環をどう食い止めるのだろうか。もうどうにもならないと多くの人が言う。しかし、判っちゃいるけど止められないことは、どうにかして止めなければならない。

 さて、どうする。国を挙げて、民意を挙げて、大議論が起きてしかるべきだ。