2025年12月29日月曜日

 コラム450 <うまいのにはやらぬ理由> 


 年越蕎麦の日を間近に控えて恐縮だが、つい先日まで新蕎麦の季節であったから、応援旁(かたがた)書いておく。あの蕎麦屋がうまい割にはやらぬ理由は


  店構え に

  面構え


何せ亭主の表情が暗いんだから・・・。あれじゃあ、うまい蕎麦もまずくなるってもんだ。

 いつだったか休業中の雰囲気だったから


  〝あの~、やってますか?〟


って聞いたら


  〝営業中って書いてあるだろう!〟だって・・・。


 どうせ風が吹きゃあひっくり返って〝準備中〟となる木札だ。帰りにひっくり返して帰ろうかと思ったが、気の毒だから止めておいた。








2025年12月22日月曜日

 コラム449 <強き善> 



 もうすぐクリスマスがやって来る。教会に通っていた頃の事や仲間のことを懐かしく思い出す。教会では仲間のことを〇〇兄弟、〇〇姉妹と呼び合う。神の元に皆兄弟・姉妹であるという意味なのだろう。


 その頃聞いた言葉に次のようなものがある。


  〝人がいいだけで天国へ行けるなら、天国は悪人にやられてしまうであろう〟


 一瞬どういうことかと思ったが、今ならよく判る。人と人がつながりを持つ時、どういう訳か良き人どうしがつながっていくよりも、悪しき人どうしがつながっていく力の方が勝っているのは昨今の世相を見れば理解できる。仏教で末世の時代と云い、キリスト教でも最後の審判の時というのはこういう時代を云うのであろうと思う。


 良き人というだけではいけない。そこに何がしかの強さが無ければ、良き人、良き事も悪しき人悪しき事にやられてしまう。


 上の言葉は、キリスト教会に通っていた40年程前に、ある指導者が語られた言葉のひとつである。今でも記憶しているというのは善も強き善でなければならない、と心底思ったからである。バブル期の殺伐(さつばつ)とした時代状況を通じて、〝悪にうち勝つ善を・・・〟と思わせられた。

 〝善は強いものだ〟と宗教上は教えるかもしれない。が、現実には悪に押しつぶされる善も数多くある。





 サタン(悪魔)は元は有能な天使(ルシフェルあるいはルシファー)だったことも忘れてはならない。あることをきっかけに神に逆らい、天から堕ちたのである。それ故、「堕天使」と呼ばれるのである。地上に悪がはびこるのは、そのせいであるかもしれない。


2025年12月15日月曜日

 コラム448 < 美しきものの力 > 



 美しい器を目にすると私の体内に気が充満してきます。写真だけでもそうなるのですから、実際に器に触れることができたら、さぞかし元気が出るに違いありません。


 <しぶや黒田陶苑>が時々送って下さる展示会目録。今回は金重有邦(かなしげゆうほう)展の案内でした。本来備前の方なのに今回は珍しく黒高麗(くろこうらい)茶碗10点と唐津土灰釉(からつどはいゆう)茶碗10点の計20点の案内でした。


 私は元々黒楽(くろらく)茶碗よりももっと硬質の黒織部茶碗の方が好きでしたから、目録前半の黒高麗茶碗に一気に魅せられました。眺めていて、長く続いている左半身マヒの苦痛が和らぎました。

 

 人の手によって作られた美しいもの、魅力的なものっていいですね。私が病に倒れていなかったら、即渋谷の<黒田陶苑>まで出掛けて行って、きっとそのひとつでも買い求めたに違いありません。法外なものならばともかく、金が無くとも、その魅力に負けて買うのです。今の時代、世代にはそういうことが殆ど無いそうですね。だから作家が育たない。同時に自分の眼も育たないのです。分割にしてくれと頼み込んで手に入れたものだって私には少なくありません。3年分割で手に入れたものさえある程です。


 〝朋(とも)、遠方より来(きた)る有り、亦(また)楽しからずや。〟


じゃないが、美しいものに出会うと心の朋と出会ったような気分になるのです。身体の苦痛が和らぐというよりも魅せられる神経の方が苦痛の神経回路に勝(まさ)ってしまうのかもしれません。






2025年12月8日月曜日

 コラム447 <ミソサザイ、夜に囀る>            


 今日は夜暗くなりかけた7時を廻ってもミソサザイがしきりに囀っています。暗くなってから鳴くことはあまりないのに何かうれしいことか、悲しいことがあったに違いありません。地味で小さくて、囀りだけは際立って美しい鳥です。私の小屋からすれば西の方で一羽、東の方で一羽がしきりに鳴いているのです。


 なかなか姿を見せない野鳥ですが、もう40年近くも聞き続けて、最近では窓辺までやってきたりするようになりましたから、もう仲よしの友達のような気分です。久しぶりだねえ!

 

 日本で一番小さい野鳥ということになっていますから、その子達が巣立ち、しげみに集まってちょんちょこ、ちょんちょこ動いている姿はそりゃあかわいいものです。小さな小鳥なのに子は5羽くらいちょこまかしているところを見ると、卵だけは5つ位生むんでしょうか。かわいいかわいいミソサザイです。






2025年12月1日月曜日

 コラム446 <前世・現世・後世> 


 こうして現世があるんだから

 地上に生まれ出る前の前世もあるでしょうよ。

 前世があるんなら、後世もあるでしょうよ。

 これらはいずれも魂のふるさとかもしれない。


 あの世に持って行けるのは心だけというが、持って来られるのもこれだけかもしれないな。






2025年11月24日月曜日

 コラム445 <字を知らなくなっていく日本人> 


 地沈祭?地鎮祭のつもりだろう。

 手紙の文頭にいきなり拝復?拝啓のつもりなのだろう。


 ワープロ・スマホのおかげで字を知らなくなった。特に多くの人が漢字を書けなくなった。

 調べればすぐ判る、ということと、知っていること、身についていることとでは訳が違う。だがこれがはっきり自覚されないから流されるまま、日本人は益々漢字を知らない、書けない日本人に向かうだろう。急須と同様、国語辞典や漢和辞典を持っている人も少なくなった。今からでも遅くはない。日本語では


 〝急がば廻れ〟という言葉があり、英語には

 〝slower is faster〟という言葉があるらしい。


 国語辞典や漢和辞典を調べるのは、楽しいぞ!





2025年11月17日月曜日

 コラム444 <日本の首相選のあと浮かんだ替え歌> 


  〝女性首相に決まったそうです〟

 

 2日に一度訪ねてくれるマッサージ師さんが教えてくれた。

 ベッドの上で

  

  〝あ、そう〟と私は応えた。


 その夜、床の中で屋根を打つドングリの音を聞きながらドングリコロコロの替え歌を考えていた。


〈第一番〉

  ドングリコロコロ丼子

  ドブにはまってさあ大変

  ドジョウが出てきてヨォヨォヨォ 

  みんな一緒に歩みましょ

〈第二番〉

  ドングリコロコロ丼子

  やっぱり派閥(はばつ)が恋しいと

  泣いてはドジョウを困らせた

 そんな訳でドジョウの口は曲がってしまったのです。バランス取って帽子までもね。

〈第三番〉

  ドングリコロコロ丼子

  先に生まれた先生に

  〝先生 おかげさまでありがとうございました!〟

  と深々とおじぎして

  だからその後はお定まり


秋田音頭に見る如く秋田県人は替え歌が上手なのです。

  ♪  ああドングリコロコロ丼子

   お茶っこ飲んでけと酒出して

   紙袋に入った酒など見たごどねぇ・・・

   シタカサッサ、ホイナ、ハァソレソレ♪