2026年1月12日月曜日

 コラム452 <朝の感謝の祈り> ──世話をかけた仲間の皆さんへ──



 宇宙を司っている神さま、おはようございます。日々、守りと励ましをいただき、感謝しています。また今日も新しい命をお与え下さりありがとうございます。この丈夫な肉体と強き魂をお与え下さりありがとうございます。この命を支えるために、一刻も休まずに働いてくれている多くの内臓さん達、ありがとう。また頭脳さん、脳神経さん、脳出血で傷めた視床部さん、前頭葉、側頭葉、大脳、小脳さん、後頭部さん、後遺症として残ってしまった左半身のマヒ、それに伴う緊張、つっぱり、関節の痛み、苦しみ等の原因に通じている扁桃体さん、懸命にがんばってくれてありがとう。


 連れ合いの信ちんこと井出信子、時々ケンカしながらもわがままな私によく寄り添ってくれてありがとう。恵子姉、郁子姉、倒れた直後から沢山気遣ってくれてありがとう。皆の支えがなければ今日まで命をつなぐことは難しかったことでしょう。

 実のきょうだいのように育った本家の長女静子姉さん(イトコ)、その娘の有路百(もも)ちゃん(ハトコ)、沢山、沢山心配してくれてありがとう。教会仲間の内田薫君、令子ちゃん、愛を沢山届けてくれて、ありがとう。


 また、いつも励まし続けてくれたご先祖様、父さん、母さん、秀男兄、それに娘の葵、源吉おじいさん、源吉おじいさんから遡(さかのぼ)ること三代続いた仁左エ門おじいさん達、特に天井板にくっきりと姿を見せていつも見守ってくれた源吉おじいさん、ありがとうございました。皆共に居てくれてありがとうございました。

 別荘地にあっては馬場夫妻や吉井さん、養蜂家の石倉さん、何かにつけ大変お世話になりました。ありがとう。


 住まい塾スタッフの、特に東京本部の門田君、菅谷君、それに大学時代の三年後輩の古賀繁男君、学生時代からの親友、高田一(はじめ)君、独立して活動している横地君、沢山沢山、世話をかけました。大阪本部のスタッフも皆でわざわざ遠くまで見舞に来てくれてありがとう。ブログの継続を支えてくれた大阪本部の筒井さん、東京本部の山上君ありがとう。


 私の愛する山小屋を造ってくれた高木棟梁、私が山小屋滞在中には毎月のように訪ねてきてくれました。沢山沢山気使ってくれた久道棟梁、リハビリ病院に健康にいいという白神山地の水を、重いのに沢山届けてくれた渡辺左官さん、それに遠く奈良から揃って見舞に来てくれた巽(たつみ)棟梁とその弟子達(亀ちゃん、高橋君)に心から御礼を言います。ありがとう。


 森田先生はじめ茶の湯の仲間達もありがとうございました。3年で復帰すると誓った約束も果たせず、夢ばかり見ています。その道をもっと深めたかったのにごめんなさい。



 




2026年1月5日月曜日

 コラム451 <鹿教湯(かけゆ)病院での8回目の新年> 



 今年も病院で新年を迎えた。ベランダにうっすらと積もった白い雪の上にエナガだろうか、足跡が一直線に続いている。

 時々目の前を通り過ぎる時、その足の速さに驚く。その速さは歩いているのか、滑っているのか判らぬ程だ。リハビリ中の今の私とは対照的だ。


 あんなに速くなくてもいいから、もっとスムーズに歩けるようになりたいものだ。エナガ君、君はその足の速さだけで幸せ者だ。寒中、脳出血を起こしたりしないでよ。それで亡くなったりしたら〝イノチトリ〟って言われるよ。

 こんな私だって高校生の頃は陸上競技の国体選手だったんだ。お互い気をつけようね。






 


2025年12月29日月曜日

 コラム450 <うまいのにはやらぬ理由> 


 年越蕎麦の日を間近に控えて恐縮だが、つい先日まで新蕎麦の季節であったから、応援旁(かたがた)書いておく。あの蕎麦屋がうまい割にはやらぬ理由は


  店構え に

  面構え


何せ亭主の表情が暗いんだから・・・。あれじゃあ、うまい蕎麦もまずくなるってもんだ。

 いつだったか休業中の雰囲気だったから


  〝あの~、やってますか?〟


って聞いたら


  〝営業中って書いてあるだろう!〟だって・・・。


 どうせ風が吹きゃあひっくり返って〝準備中〟となる木札だ。帰りにひっくり返して帰ろうかと思ったが、気の毒だから止めておいた。








2025年12月22日月曜日

 コラム449 <強き善> 



 もうすぐクリスマスがやって来る。教会に通っていた頃の事や仲間のことを懐かしく思い出す。教会では仲間のことを〇〇兄弟、〇〇姉妹と呼び合う。神の元に皆兄弟・姉妹であるという意味なのだろう。


 その頃聞いた言葉に次のようなものがある。


  〝人がいいだけで天国へ行けるなら、天国は悪人にやられてしまうであろう〟


 一瞬どういうことかと思ったが、今ならよく判る。人と人がつながりを持つ時、どういう訳か良き人どうしがつながっていくよりも、悪しき人どうしがつながっていく力の方が勝っているのは昨今の世相を見れば理解できる。仏教で末世の時代と云い、キリスト教でも最後の審判の時というのはこういう時代を云うのであろうと思う。


 良き人というだけではいけない。そこに何がしかの強さが無ければ、良き人、良き事も悪しき人悪しき事にやられてしまう。


 上の言葉は、キリスト教会に通っていた40年程前に、ある指導者が語られた言葉のひとつである。今でも記憶しているというのは善も強き善でなければならない、と心底思ったからである。バブル期の殺伐(さつばつ)とした時代状況を通じて、〝悪にうち勝つ善を・・・〟と思わせられた。

 〝善は強いものだ〟と宗教上は教えるかもしれない。が、現実には悪に押しつぶされる善も数多くある。





 サタン(悪魔)は元は有能な天使(ルシフェルあるいはルシファー)だったことも忘れてはならない。あることをきっかけに神に逆らい、天から堕ちたのである。それ故、「堕天使」と呼ばれるのである。地上に悪がはびこるのは、そのせいであるかもしれない。


2025年12月15日月曜日

 コラム448 < 美しきものの力 > 



 美しい器を目にすると私の体内に気が充満してきます。写真だけでもそうなるのですから、実際に器に触れることができたら、さぞかし元気が出るに違いありません。


 <しぶや黒田陶苑>が時々送って下さる展示会目録。今回は金重有邦(かなしげゆうほう)展の案内でした。本来備前の方なのに今回は珍しく黒高麗(くろこうらい)茶碗10点と唐津土灰釉(からつどはいゆう)茶碗10点の計20点の案内でした。


 私は元々黒楽(くろらく)茶碗よりももっと硬質の黒織部茶碗の方が好きでしたから、目録前半の黒高麗茶碗に一気に魅せられました。眺めていて、長く続いている左半身マヒの苦痛が和らぎました。

 

 人の手によって作られた美しいもの、魅力的なものっていいですね。私が病に倒れていなかったら、即渋谷の<黒田陶苑>まで出掛けて行って、きっとそのひとつでも買い求めたに違いありません。法外なものならばともかく、金が無くとも、その魅力に負けて買うのです。今の時代、世代にはそういうことが殆ど無いそうですね。だから作家が育たない。同時に自分の眼も育たないのです。分割にしてくれと頼み込んで手に入れたものだって私には少なくありません。3年分割で手に入れたものさえある程です。


 〝朋(とも)、遠方より来(きた)る有り、亦(また)楽しからずや。〟


じゃないが、美しいものに出会うと心の朋と出会ったような気分になるのです。身体の苦痛が和らぐというよりも魅せられる神経の方が苦痛の神経回路に勝(まさ)ってしまうのかもしれません。






2025年12月8日月曜日

 コラム447 <ミソサザイ、夜に囀る>            


 今日は夜暗くなりかけた7時を廻ってもミソサザイがしきりに囀っています。暗くなってから鳴くことはあまりないのに何かうれしいことか、悲しいことがあったに違いありません。地味で小さくて、囀りだけは際立って美しい鳥です。私の小屋からすれば西の方で一羽、東の方で一羽がしきりに鳴いているのです。


 なかなか姿を見せない野鳥ですが、もう40年近くも聞き続けて、最近では窓辺までやってきたりするようになりましたから、もう仲よしの友達のような気分です。久しぶりだねえ!

 

 日本で一番小さい野鳥ということになっていますから、その子達が巣立ち、しげみに集まってちょんちょこ、ちょんちょこ動いている姿はそりゃあかわいいものです。小さな小鳥なのに子は5羽くらいちょこまかしているところを見ると、卵だけは5つ位生むんでしょうか。かわいいかわいいミソサザイです。






2025年12月1日月曜日

 コラム446 <前世・現世・後世> 


 こうして現世があるんだから

 地上に生まれ出る前の前世もあるでしょうよ。

 前世があるんなら、後世もあるでしょうよ。

 これらはいずれも魂のふるさとかもしれない。


 あの世に持って行けるのは心だけというが、持って来られるのもこれだけかもしれないな。