2021年7月5日月曜日

 コラム224 <脳出血から34ヵ月経った者の心境 その② >

  脳出血(視床部)で倒れてからもう34カ月が経つ。自主トレも含めたリハビリも比較的よくやった方だと思う。リハビリの良きセラピスト(トレーナー)達との出会いにも恵まれた。主治医の先生方との出合いにも恵まれた。だが脳がやられるというのは、それでもそう簡単ではない。
 退院後も連れ合いや姉に多大な犠牲と負担をかけながら(二人共まだ現役の仕事人なのだから)諦めずにここまでこれたのも二人の助力に負うところが大きい。特に連れ合いは私の足元の不安定さを案じて、自らもまもなく股関節の手術を控えているような身でありながら、病院に行く時には必ず病院までの往復に同行してくれた。診療の予約、窓口での保険証の提出や支払い、薬局での薬の受け取り及び支払い等は左半身マヒの現在の私には無理がある。
 八ヶ岳では車で10分足らずのところにある八ヶ岳農場の一周45百メートルはあろうかという広大な芝生での自主トレを兼ねたウォーキングはいつも一緒だった。時には途中どこに行ったかと思いきや、私よりも散歩中の犬の方に関心が寄って、戯(たわむ)れていることもしばしばだった。大の犬好きときているからこれも愛嬌というものである。

  シビレ専門の病院にもいくつか行った。こんな努力をさまざまに重ねてきたが左半身の強烈なシビレは一向に快方に向かわない。逆に強くなる一方で最近では痛みと苦しみが加わってよく眠れない日もしばしばである。
 代々木にある「JR病院」のしびれ専門外来では担当医曰く、〝タカハシさん、よくここまでがんばりましたよ。我々医師だっていつそうなるか判りませんから、私がなった時にはタカハシさんのことを想い出して私もがんばりますよ……〟……そりゃあいいけど、私の方はそれまでどうすればいいの?このJR病院はシビレとはいってもどちらかといえば、頸椎(けいつい)から来るシビレが専門のようだった。