コラム224 <脳出血から3年4ヵ月経った者の心境 その② >
退院後も連れ合いや姉に多大な犠牲と負担をかけながら(二人共まだ現役の仕事人なのだから)諦めずにここまでこれたのも二人の助力に負うところが大きい。特に連れ合いは私の足元の不安定さを案じて、自らもまもなく股関節の手術を控えているような身でありながら、病院に行く時には必ず病院までの往復に同行してくれた。診療の予約、窓口での保険証の提出や支払い、薬局での薬の受け取り及び支払い等は左半身マヒの現在の私には無理がある。
八ヶ岳では車で10分足らずのところにある八ヶ岳農場の一周4~5百メートルはあろうかという広大な芝生での自主トレを兼ねたウォーキングはいつも一緒だった。時には途中どこに行ったかと思いきや、私よりも散歩中の犬の方に関心が寄って、戯(たわむ)れていることもしばしばだった。大の犬好きときているからこれも愛嬌というものである。
代々木にある「JR病院」のしびれ専門外来では担当医曰く、〝タカハシさん、よくここまでがんばりましたよ。我々医師だっていつそうなるか判りませんから、私がなった時にはタカハシさんのことを想い出して私もがんばりますよ……〟……そりゃあいいけど、私の方はそれまでどうすればいいの?このJR病院はシビレとはいってもどちらかといえば、頸椎(けいつい)から来るシビレが専門のようだった。