2021年6月7日月曜日

 コラム220 <乾いた心>

  ふと誰かが言った。

 〝ドライにできるって、心が乾いているからドライにできるんだよ。〟
なるほど。心と心の直接の交流が少なくなって、徐々に乾いた心の人が多くなってきているのかもしれない。

  建築木材にドライビームというものがある。人工的に極度に乾燥させているから、割れない、歪まない、伸び縮みしないはいいけれども、確実に木の魅力を失う。樹脂分までが飛んで木のもつしっとり感を失い、しなやかさも失う。構造強度も確実に落ちていると思う。この性質をわかりやすく例えれば、枯木により近い状態になっているということだ。この点我々の賛助会員でもあり、都内有数の林業・製材・材木店である浜中材木店の浜中さんも同意見だ。

 人間と同じで長所・欠点を併せ持って健全な状態というものだ。人間の心もあまりに湿っぽ過ぎるのも問題だが、あまりにドライ過ぎるのも問題だ。人間の心の総合力を昔から知・情・意というではないか。胆力を含めてバランスのとれた心を持っているかどうか———それをその人の「人間力」と呼んできたのだ。直に人間を相手にしないリモート・テレワークの類は今後益々拡がりを見せていくだろう。それがいかに安全であろうと便利であろうと、会議等の情報交換の手段としてならまだいいが、それによって人間の関係は深まらないし、知・情・意も鍛えられない。即ち「人間力」が鍛えられず、ドライビームのような人間がどんどん増えていくことになりやしないかと心配だ。

 以前牛殺しで名を馳せた極真空手の大山倍達前館長の演武を生で一度だけ見たことがある。代々木体育館だったか武道館だったか忘れたがスタッフの一人が極真空手の有段者だったから誘われて一緒に見に行ったのである。我々の席は会場の最上段であったから大山倍達とはかなり距離があり下の方に小さく見えるだけだったが、並々ならぬ気迫が我々のところにまでストレートに伝わってきて〝すごい!〟と圧倒されたものだった。その姿が後日TVで放映された。鬼気迫るあの気迫はブラウン管のガラス一枚を通ることですっかり消えていた。テレワークなどもあれと同じではないか。ガラス一枚によって消えるのは気迫、情熱、迫力、鬼気、胆力———そうしたものが、見事に損われる。真に人間を鍛えるためには、直接に人間と対峙することの大切さをいつの時代になっても失ってはならないとつくづく思ったのである。