2020年4月20日月曜日


コラム161 Less Is More

日本には世界遺産に登録されたところが沢山ある。今は新型コロナウィルス騒ぎで激減しているが、近年海外からの観光客が急激に増えている。
 数年前になるが、私の連れ合いが、かつてホームステイしていた夫婦の孫娘(マーサ)がイギリスからやってきた。滞在期間は一ヶ月というから、奈良、京都に始まり、見たいところはたくさんあるだろうに……と思いきや、本人は全くの無計画。仕方なしに世界遺産を含め、こちらで計画したところをあちこち見て歩いて、最後の頃に訪ねてきたのが信州八ヶ岳の私の小さな山小屋であった。
〝アメイジング!!〟
はじめて訪ねた異国の地で、少々疲れたこともあったろう。
沢山見た中で最も安らぎ、最も印象に残った場所のひとつがこの小さな山小屋であったらしい。青い鳥を求めて かけめぐった果てに見つけた青い鳥であった。
 「Less Is More」という言葉が頭をよぎった。多いことは決して喜びや、幸せの基準にはならない。絢爛豪華もその通り、贅沢もその通り……。
 我々は、この一事をもって人間の幸せの何たるかを悟ることが出来る。実際、食べることにさえ事欠く貧困の辛さというものもあるが、かといって行き過ぎた豪華な食事も幸福を保証するというものではない。それよりもシンプルで素朴なものでもいい、思いのこもった料理を気のおけない連れ合いや仲間達と語り合いながら平穏な中で食する―― これ以上の贅沢はない。
 以前、マーサのグランドマザーとグランドファーザーがこの山小屋に数日滞在したことがあった。日本に滞在中、最も想い出深いところだったと彼女に告げたらしい。
 「Less Is More
 これまで幾度となくこの言葉に接しながら、今回再びこの言葉を思い起こさせたのだった。 
 こうした思想(感覚)は、茶人 千利休に始まったように思っている人が多いが、長い歴史の中で多くの共感を呼んで、今日まで日本人の心の中に根付いているところを見ると、日本民族の感性の中に、この特性が深く根を張っているものに違いない。だが、日本人はこの日本民族の特性から急速にはなれていっている。
 それにしても、最近しばしば世界遺産に指定されるためにやっきになっている自治体を見かける。観光客を多く呼び込むためのがんばりならば、世界遺産指定制度の本来の目的を大きく欠いていると言わなければならない。この制度が当初めざしたのはそんなものではなかったはずだからである。