コラム 42 <高橋佐門と器>
私の友人に高橋佐門という陶芸家がいる。もう長いつき合いである。30年程前にある人の仲立ちで知り合ったのである。それ故私の手元には彼の器がかなりある。義理を感じたのか、その後彼は住まい塾で家とギャラリーをつくった。
これまで粉吹窯変一筋に生きてきたが、世にいう粉吹(あるいは粉引)とはだいぶ趣が違って、これが粉吹かと思われるものまで表情の巾は広い。
以前個展の際に私から知人達へ宛てた案内に
〝本人はいたって饒舌、しかし作品は寡黙です。〟
と書いてバレたが、改めて今見てもそう思う。
本人と会うと、私は不思議に思う。
眼前のこの饒舌と、作品に漂うあの寡黙といったいどちらが真実なのだろうか・・・と。
本人に聞いてみたこともないし、尋ねたところで本人にだって判りはしないだろう。
しかし私は思うのである。作品は眼前の人間よりもはるかに本人の内面の真実を写すものだ、と。作品の中には饒舌を思わせるものも少なくない。しかし佐門のあの過ぎる程の饒舌の底に、作品に見るあの寡黙が沈んでいるのを見るのである。