2024年10月14日月曜日

 コラム395 <医師は何を診るか:『医者ともあろうものが』現代版> 


 最近の医師は病を見て、人を見ない。

 最近の医師はパソコンを見て、人を見ない。


 これなど最初の頃は〝おいおい、患者はこっちだよ!〟と言いたくなったものだが、最近はどこでもそうだからもう慣れっこになって、何とも感じなくなった。それでも時々人の話題に登るところをみると、まだ違和感を感じている人は私をはじめ少なくないということなのだろう。


 整形外科に行く場合はどこかが痛くて行く場合が多いだろうが、医師は検査をレントゲン・CT・MRIなどの機械にまかせて出てきた画像を見て、人を見ることもなく、身体に触るでもなく、画像に特別問題が無ければ、薬を出して終わりだ。少なくとも私は整形外科で医師に触れられたことが無い。先端医療技術が問題だというのではない。相手は患者という一人一人違った人間なのだということが見逃されているところが問題だと思うのだ。


 医療の技術的進歩は誰も疑わないだろう。現代のこのような傾向で失われたものはないのか、と私のようなタイプの人間は疑念を持つ。

 私の親しかった名棟梁は足場に胸を打って、ついでに診てもらったら小さなガンが見つかった。まだまだ現役バリバリの棟梁だったが、手術時どこかの神経を切ってしまったらしく、生涯仕事が出来なくなった。その後も月一度の我々の勉強会や見学会には必ずと言っていい程出席し、あれ程好きだった酒も一滴も飲まずに、復帰を念ったがついにその夢はかなわずに亡くなった。医師がこの人が名棟梁だと知っていたら手術のやり方も違っていたかもしれない。失われたものは人間らしさ、人間っぽさ、人間を観る眼だ。


 昔懐かしく思われる胸やお腹に手を当てて甲をトントンやるあれは何だったのか。聴診器を首から下げているお医者さんに出会うと未だにホッとする。当ててくれたりすると私の身体を看てくれているようでうれしい気分になる。患者の目や顔の色艶、表情から読み取れるものはないのか。そうしたものに、病は表れないものだろうか?

 

 いかに高度な検査機械の時代となっても、生前何度かお会いしたことのある見川鯛山先生のような町医者は、もう出番がないのだろうか。時々はああいう人間っぽいお医者さんにいて欲しいものだと思われる。

 

 そもそも患者を看るの「看」という字は手と目で成り立っているではないか。そんなことは気のせいだ、と言う人がいるかもしれない。しかし、私のように体が不自由になった身にはこの「気」こそが殊の外大切なのだ。

 人間はいずれ必ず死を迎えることを考えれば、人間的な医師の元で、人間的な医療を受けて死期を迎えたいものだと思う。それが今回のタイトルを『医者ともあろうものが』現代版とした理由である。








2024年10月7日月曜日

 コラム394 <見川鯛山作『医者ともあろうものが』> 


 学生時代、見川鯛山氏作の『医者ともあろうものが』を読みながら笑いが止まらなくなり、途中で電車を飛び出したことがある。そのあともNHKのテレビ番組で森繁久彌氏による朗読がなされた。これがまた相性がぴったりで、後に世界文化社から録音テープが発売された。まわりの録音エンジニア達も笑いを抑えきれなかったらしく、その様子さえ録音されている。自然描写の見事さといい、人生のおかしみの表現の巧みさといい、これ以来、私にとって忘れられない一冊になった。


 それから15年程経って、私は住まい塾運動をスタートした。ある日、中年の女性が本部を訪ねて来られた。出身は那須高原の湯元温泉だという。見川鯛山氏も那須湯元温泉で開業医をしていたはずだから、私はすかさず聞いた。


 〝湯元温泉には面白い作家のお医者さんがいるでしょう?見川鯛山さんという・・・〟


その女性は即座に答えた。


 〝います、います、ヘンな人がね・・・それ、私の父です〟


さすがに私もびっくりした。縁というのは不思議なものだ。以来、見川氏の長女家族と次女家族の二軒の家を住まい塾で設計することになった。

 当然見川鯛山氏にも幾度かお会いする機会に恵まれた。だいぶ古民家が御好きなようで、設計着手前から大きな蔵戸や、もらい受ける古民家が決まっていて、実測に伺ったり、この大戸をどこに有効に使おうかと頭をひねったりして想い出深い、楽しい仕事となった。


 本の内容から想像する作家像とは大分違って、本人はいたってまじめで実直かつ几帳面な方なのだろう。10冊程の自作の著書すべてにきっちりとサインして私に下さった。

 今もどこかの文庫に収まっているかもしれないし(一時期はたしか集英社文庫に収められていた)新本が手に入らなかったらぜひ中古本でも探して読まれるといい。この暗い時代にユーモアたっぷりの平和な傑作集を遺(のこ)してくれて、見川先生、ありがとう!と今でも思っている。