コラム190 <仏画師 安達原玄さんの想い出①>
私が知り合った頃には、玄さんはパーキンソン病に冒(おか)されていて、歩行にも、利き手の右手の方も不自由になられていたが、それでも筆を持つと手のふるえが止まるのだと言って、病状が徐々に進行するに及んでも〝右手でダメなら左手で、交互に描いているうちにどちらで描いているのか自分でもわからなくなるのよ〟とかおっしゃって、こういう方は天から何か使命を受けてこの世に生まれ出たものであろうと幾度も思わせられた。
霊力(透視能力や霊感)も多分に働いていたようで、私には随分語り聞かせてくれたが、〝こういう話をすると気持悪がられるから他人にはあまりしないの〟とおっしゃっていた。
晩年はその病状もさらに重くなり、進行を遅らせるために飲んでいた薬も、〝もっと強いものでもいいから、あと二年、描かせて……〟と祈るような調子で語ることもあった。表現したいものがまだまだあったのだろう。充実の中にも悲しい時間であった。