2022年1月24日月曜日

 

コラム253 <勝蔵叔父の想い出———②>

 

 私は近藤家の勝蔵叔父が大好きであった。
 冬山に鉄砲撃ちに連れていってもらったり、闘犬(土佐犬)の試合に幾度か連れて行ってもらったりした。横綱クラスともなると、耳を喰いちぎられそうになっても鳴かぬものだった。勝敗にどんな基準があるのか詳しくは知らないが、かまれて〝キャ~ン〟などと声を出したら一声で勝負ありだった。うなり声はよかったようだが、負け声というものがあるのだろう。迫力があった。
 闘いに慣れていない若い犬などは、闘場となる檻(おり)に放たれて、相手との差があり過ぎてこれは勝ち目がないとわかった瞬間に、飼い主はタオルを投げ入れて両犬をすぐ引き離すのだった。
 最初はなぜもっと闘わせないのか、もっとやらせればいいのに、と不思議に思われたが、まだ若くて力が無い状態で、徹底的にやられてしまうと、負けぐせがついて、強くなれないのだという。だから力の近い犬と闘わせて徐々に力をつけていくのだといったようなことも勝蔵叔父に教わった。 

 近藤家には土佐犬がいることもあった。
 今でも忘れられないのは土佐犬を散歩させている途中で、普通の犬と違い、リードを引っ張って〝おい、そっちじゃない、こっちだ!〟などとやっていると犬は強くならないとも聞いた。人間が犬を自分の意志に従わせながらではなく、犬の行きたい方へ、犬の意志に人間が従っていくように散歩しなければ強い犬に育っていかないというのだ。
当時は〝へェ~〟と思って聞いていたが、今にして思えば男の子と親の関係にも似て、教育ママ風に親の意に添わせようと躍起(やっき)になって育てていると、男の子は強く育たないということに通じるのではないかと思ったりする。
 最近一体に男が弱くなっている印象があるのは、勝蔵叔父のあの教えと関係があるのではないかと思うようになった。

犬と人間とは違うとは言っても、動物として共通する原理というものもあるだろう。