2016年12月19日月曜日

コラム 68  忘れられない一篇の詩  

ふと、ある詩が思い出された。 

みづの たたへの ふかければ
おもてに さわぐ なみもなし
ひとも なげきの ふかければ
いよよ おもてぞ しづかなる 

高橋元吉の詩である。
どんな形で知ったかよく覚えていないが、前橋の書店煥乎堂の主人であり、その煥乎堂を私の師白井晟一が設計しているから、白井晟一からこの詩を知らされたことは間違いない。あまり詩を暗誦することなどない私が、40年も前に一度接して以来忘れられずに思い出しては口ずさむ詩である。 

『高橋元吉の人間』の序に彫刻家高田博厚が文を寄せていて、〝高橋元吉は私の一生の友であった。〟に始まる。
そこには次のように書かれている。 

〝それにしても、彼は郷里前橋に住みつづけ、私は東京、年に一度会うぐらいで、会えばばかばなしばかりしていた。・・・・・(中略)・・・・・しかも私は、大人になる年頃に日本を去り、それからほとんど30年彼に会えなかった。この年月の間に世界と日本は大動乱に陥った。
「フランスが自分を大人にしてくれた」という自覚を持って、久方ぶりに日本に帰って来ると、高橋と私の友情は全く変わっていなかった。若い頃からの旧友をもう昔のようには見れなかったのが多かったのに・・・・・。
これはなんだろう?気質、精神の同一?思想の共通?生き方も歩き方も二人はずいぶんちがっていた。しかし、自我の内部が命令するもの、精神の秩序、この点で二人は全く一つであった。出世間とか名声とか評判などは寸時も私たちを動揺させたことはなかった。・・・・・・・・・〟

このような人の詩である。 
 

どんな人でも皆苦しみを持っている。
高橋元吉のようになげきを持っている。
だから皆にこの詩を知らせたかったのである。
特にこの理不尽なことの多い世の中であるから・・・・・。
つぶされそうになった時、口ずさんでみるといい。不思議にも心が落ちつくのである。そして気を取り直して、また歩み始めてほしいのである。