2024年6月24日月曜日

 コラム379 <安達原玄さんと達磨像>


 仏画師 安達原玄さん(と言っても女性である)が晩年


  〝最近達磨像を描いているんだけど、

   描けば描くほど高橋さんに似てくるのよねえ・・・

   どうしてかしら・・・〟


とおっしゃったことがあった。あれから10年以上経った今、やっとあの意味が判るようになった。脳出血で倒れて以来6年間で、ざっと数えて30回は転倒している。

 頭からの流血5回、まゆ、耳から各1回、それでもその度にほぼ自力で起き上がっている(一度だけ助けてもらった)。七転び八起きどころではない。30転び31起き。ハハァ・・・あれはこの予言だったのだ、と。


 あの時二枚の原画を下さった。達磨とは南インドの王子として生まれ、後に中国に渡って中国禅宗の祖となった御坊さんだから、厳しい表情をしている。りっぱな髭(ひげ)をたくわえているが、頭には毛が殆ど無い。

 私は聞いた。


  〝どこが似てるんですか・・・⁉〟


そことは言わせぬ迫力で私が聞いたからだが、うっすらと笑いを浮かべながら、どうもそれだけではないと言いたげだった。

 写真が撮れないので残念だが、今も私の製図板の机前の壁にかけられている。最晩年の10年間程の想い出深い交流であった。玄さんは長い間パーキンソン病と闘いながら2015年3月9日、86才で亡くなられた。

(写真は後日連れ合いが撮ってくれた。)

 





2024年6月17日月曜日

 コラム378 <新緑の中のキジバト君> 


 朝陽に照らされて、梢の影が障子に揺れる。自室の明り障子を開けたら萌黄色に輝く若葉がなんとさわやかで美しいことか。


 
 そこにキジバトが飛んできた。

 私はベッドに腰掛けトレーニングをしながら


  〝オハヨウ!ハーちゃん!〟


キジバト君は梢(こずえ)の上でスクワットしながら


  〝ホゥ、ホゥ、ホゥ、ホゥッ〟

  〝私と一緒にトレーニングしてるのかい?〟

  〝ホゥ、ホゥ、ホゥ、ホゥ〟

 

春の爽やかな風と共にいると


  〝よくがんばってますね〟


と云われているような気分になって、私は


  〝ハト君、ありがとう!

   ところで今日は相棒はどうしたんだい?〟


と言った。






2024年6月10日月曜日

 コラム377 <天道虫(てんとうむし)が指し示した本 その②> 


 もう一つは私も知らないことであったし、歴史の授業の中でも聞いたことのない事実であった。これも同本からの転記である。


  〝第二次世界大戦を終結したサンフランシスコ対日講和会議(1951)で、

   仏教国セイロン(現在のスリランカ)は、

   日本に対する損害賠償請求権がありました。

   ところがセイロンを代表したJ・R・ジャヤワルダナ蔵相

   (後にスリランカ大統領(1906~1996))は、

自発的にそれを放棄しました。

   その理由として引用したのが初期仏典『ダンマパダ』の次の言葉です〟


  〝実にこの世においては、怨(うら)みは怨みによって消えることは、ついにない。

   怨みは、怨みを捨てることによってこそ消える。これは普遍的真理である〟


 試験のために暗記勉強だけに終始した感のある社会科歴史に、私は30才近くになるまで興味を持つことがなかった。歴史の裏側に込められた人間模様を知ったなら私の歴史への興味はもっともっと深まっていたに違いない、と今更ながらに思う。





2024年6月3日月曜日

 コラム376 <天道虫(てんとうむし)が指し示した本 その①> 


 過日のコラムに私の転倒に重ねて天道虫について書いた(コラム367)。飛んで行って止っていたのが『ブッダが説いた幸せな生き方』(岩波新書)の背であったことも記した。この本を読み返した中で印象深かったことを二つだけここに転記しておこうと思う。

 一つはチベット仏教を代表するダライラマ十四世の言葉である。ユーモラスであり、痛烈である。


  〝大きくなった家 小さくなった家族

   高まった利便性 なくなったゆとり

   増えた薬 損なわれた健康

   伸びた利益 薄まった絆

   これが私たちの時代だ〟


さらに


  〝仏教以上に、私が説く宗教はこれです。

   それは単純です。その寺院は心です。

   その教義は愛と思いやりです。

   その道徳は、誰であれ人を愛せよ、そして尊敬せよ。

   俗人であれ、宗教者であれ、この世界で生き延びるためには、

   これしか選択肢がありません〟


  
 ダライラマ十四世の写真を見る度に想い出すのが住まい塾賛助会の第二代会長を務められた今は亡き北澤建設会長の北澤一丸さんである。風貌も似ていたし、職人として、人間として、粋な風情の印象深い人であった。