2020年9月21日月曜日


 

コラム183 <人生一句 >

 

溜め息や

 蛙(かわず) 飛び込む

          ドブの中





2020年9月14日月曜日


コラム182 <器の扱いについて教えられたこと>

脳出血以来、器がうまく扱えなくなって、改めてこれまで器の扱いについて教えられたことがらを思い出さざるを得なくなった。左手及び指の動きが思うようにいかないので細心の注意を払わないと落としたり、滑らせたり、器どうしぶつけたりして、器を損じることが多くなったからである。器の扱いという面では、自分を自分で躾けてきたようなところがあるだけに余計にくやしいのである。

第一に思い出されるのは、魯山人の教えである。おそらく『星岡茶寮』における従業員達へ心得として説いたものであろうと思われるが、器と器を重ねる際には間に必ず紙を敷き込んでいたという話である。器にキズをつけたり、欠き損じることの防止という意味ばかりでなく、特に陶器類は水分を吸うから高台周辺へのカビ防止にも役立ったことだろう。
この話を聞いて以来、私自身もこれを実生活に取り入れてきた。年々古い時代の貴重な器を使うようになったということもあるが、それだけではない。器を大切に扱うこと、特に長年生きてきた器を大切に扱うことは、器に対する礼儀というものであろう。私にとっては、これが器の扱いへの目ざめと呼んでいいものだった。これによって私の器の扱いは一歩成長した。

思い出したことの第二は、かつて渋谷神谷町にあった料亭『くねん坊』の女将から教えられたことである。この頃にはすでに家庭での躾もままならぬようになって塗りもの(漆器)を金タワシで洗われてなげく鰻屋の亭主がいたり、輪島塗の座卓の上をざらついた食器を擦って卓をキズだらけにされたりする例がめずらしくなくなっていた。自然陶磁器などもよく割る時代になっていたのである。茶道が男のものでなくなり、女性の茶道人口もめっきり減ったことも一因であったかもしれない。くねん坊の女将は〝最近は器をよく欠く時代になったわねえ……〟となげきつつ、〝厨房で洗う際にも器に心を残しながら扱わないのが原因ね。他人と話しながら洗ったり、早く済まそうと気が別のところに行ってしまったような状態で扱ったりするのも一因ね〟と、器に心を残して扱うという意味での「残心」という心得をここで教えられた。以来、私はほとんど器を欠き損じることがなくなったように思う。
食及び食器文化のきわめて高い日本であればこそ、もう一度器の扱いを見直したいものである。


2020年9月7日月曜日


コラム181 <日本三鳴鳥+α> ——— その②

ウグイスは、ホトトギスなどに托卵されることがあり、これも摩訶不思議な自然の摂理のひとつである。ウグイスは全長15cm程だというのに、全長が30cm程にもなるホトトギスの卵を懸命に抱卵して温め、何せ食べるエサの量が違うだろうに生まれたヒナを必死に育てる。生み落とされたウグイスの小さな巣の中で、あふれんばかりの大きさに育ってくるのだから、途中でこれはおかしいなと思いそうなものだけれど、我が子と信じて疑わずにせっせとエサを運んで育てる。巣立つ頃には、ほぼ30cm近くになっているのだから、気味が悪いなどと感じないものだろうかと思うが、このウグイスは余程仏心深い鳥なのだろう。
 〝ホー、ホケキョ!〟と鳴くのは、それとは関係ないことだろうが、托卵する方のカッコウ科のホトトギス類にはよくよく調べると残酷と思われる巧妙な一面があって、私は好きになれない。
 図鑑には繁殖期の雄は「特許許可局」と鳴くと記されているが、私にはそのように聞こえたことが一度もない。先日、その辺に詳しい別荘地の友人に酒を呑みながらたずねてみたら、あれは〝テッペンハゲタカ〟って鳴くんだよ、というから私は〝余計なお世話だ!〟と返して笑い合った。あとで山と渓谷社の野鳥図鑑を調べてみたら、〝テッペンハゲタカ〟でなく〝テッペンカケタカ〟とあった。どちらにしても大してかわりはないか……。
 オオルリに対してはこれまで二度気の毒なことをしている。大きな窓ガラスに当って窓下で死んでいた。私の記録には、2010.5/22012.5/10とある。他の家でも一度見た。透明ガラスに周囲の樹々の姿が映るから、森と思って突っ込んで首の骨を折ってしまうのである。私はあまり詳しくないので、あるいはルリビタキであったかもしれない。以来、当り易い方にアミ戸を持ってきておくか、必要な時以外はケースメントあるいはレースをしておくようにしてからは、こうした事件は起きなくなった。


2020年8月31日月曜日


コラム180 <日本三鳴鳥+α>―――その①

日本三鳴鳥といえば、ウグイス・オオルリ・コマドリということになっている。ぜひこの仲間に入れてほしいのが、ミソサザイである。小さな体躯で、それはそれは艶(つや)やかな、美事な声で囀(さえずる)る。そのさえずりは、渓流の林間に冴え渡る。声も大きく、しかも鳴き声も長く複雑だから通常のカタカナ文字ではとても表現できない。
 体長(くちばしの先から尾羽の先までの長さ:cf スズメ14cm)は11cmと小さく、日本で最も小さな鳥のひとつとされる。その上、色も地味な茶系ときているから姿をとらえるまでに何年もかかった。見慣れたせいか、時々窓辺にひょいと飛んできて、姿を見せるようになった。子鳥達が巣立つ頃には、56羽の幼鳥を連れてやってくる。子鳥達はササヤブの中に積んである枯枝の中にもぐったり、ヨチヨチ飛びをして遊んだりしているが、その間親鳥は近くの樹の上でしっかり見守っている。人間が近づいたり、何か危険が迫ったりすると、チチッ!チ・チ・チッ!と短い警戒音を発する。するとヤブの中で遊んでいた子鳥達は、ピタリと動きを止めて、音を立てるのを一斉(いっせい)に止める。それは美事なものである。「親」とは「木の上に立って見るもの」の成り立ちを文字通り実感させるのが、このミソサザイである。あれだけの美声の持主ながら三鳴鳥に入れぬ理由は、あるいはその性状にあるのかもしれない。
山と渓谷社の『野鳥図鑑』には「雄は外装だけをつくった巣の前でさえずって雌をよぶ。巣が気に入ると雌は内装を完成させる。抱卵、育雛は雌が行い、雄は次の雌を求めて新たな巣の前でさえずる。」とある。
そこが気に入らないという人もいるが、自然の摂理なのだ。人間の私情をはさむこともあるまい。



2020年8月24日月曜日


コラム179 <八ヶ岳の標高千数百メートル付近の山間道路を走りながら考える>

皆セカセカと追い越してゆく。都会と変わらぬようなスピードで。まるでみな苛立ちながら走り去ってゆくようだ。
緑たっぷりの涼やかな道路をどうしてこうもセカセカと走って行かなければならないのか——しかも排気ガスをブカブカ吐き出しながら……この人達はこんなにもゆったりした環境の中に来ながら、どこで、どうやってゆったりするのだろう。地球の温暖化など自分らとは一切関係のない話だと思っているのだろう。地元の古老は、〝以前はこの辺で夏窓を締めて走る車なんて見ることなかったんだけどねぇ〟とつぶやいた。

 以前、〝そんなに急いでどこへ行く〟というTVコマーシャルがあったけれど、あれは名コピーだった。今、改めてそう聞かれても答えはあいかわらず
 〝どこに向かっているんでしょうねぇ……〟
位だろう。
 あのコピーからもう何十年も経つというのに、日頃のセカセカが益々身体に浸み付いて、体内リズムが振り子の短い時計のようにせわしなくなっているのだろう。

 だが、私は今はっきり言う。
 〝そんなに急いでも決していいところへは行けないよ〟……と。
 〝ゆったりした道では ゆったり走ろうよ〟
 〝散歩道では 野辺の名も無き野花の美しさでも眺めながら、ゆっくり歩こうよ〟

 今の私のようになっては、それすらできないよ。
みんな日々の大いなる恵みを大切に!


2020年8月18日火曜日


コラム178 <人間頭脳と人工知能(AI> 私のAI ——自戒の念を込めて

A
・諦めない
・焦らない
・慌てるべからず
・案ずるべからず
・愛情を受けて、情(じょう)を深めよ
・あとのない、あと一歩
・愛は平和の源泉、愛情深くあれ
・明らめるまで、諦めない

I
・急ぐなかれ
・苛立たない
・忙しくするべからず
・生きて、使命を果たすべし
・生き切ったら、思い残すことなし

AIartificial intelligence):人工知能

最近のAI(人工知能)には乱筆・乱文もなし
私の人間頭脳には乱筆・乱文に加えて、乱心まであり。
 ここが人間のおもしろいところだ。この世に生まれ出た第一の目的は、この乱心を修め、整えることだと私は教えられてきた。

2020年8月10日月曜日


コラム177 <涙―その②>

 一方、左半身にひどいシビレと共にマヒが遺(のこ)った私は多少モタつきながらも言葉は出るが、歌が以前のようには歌えない。気がきいてやさしいヘルパーの田代正史さんは入浴時間に私の得意曲を三曲、スマホでかけて歌わせてくれるが、どうも歌になっていないようだ。音程も狂っているようだし、音量も不足、ビブラートもうまくきかない。音痴というのはこういうものなのだろうなと思う———自分で歌っているつもりだが、歌になっていない———

 過日、連れ合いがスマホに高性能イヤホンのようなものをつけてベッドに横になっている私の耳に差し込み、〝一緒に歌ってみて〟と言う。いい音がする。それに合わせて歌っているつもりだが、どうもかつてのように歌っている気分にならない。そこで聞いた、
 〝歌になってる?〟こたえは、
 〝浪花節みたいだ〟とのことであった。

 おそらく同世代であろう、さだまさしのベスト盤を今日久々に聴いた。この人はきっと心根のやさしい人であろうと歌を聴きながらいつもそう思う。ベスト盤が手元に三枚あるが、一枚目の第2曲目に「道化師のソネット」という曲が入っている。そのソネットをCDと一緒に歌っていたら、ボロボロと涙がこぼれた。熱いものがこみ上げてきて、むせびながら最後まで歌ったが、どうせ浪花節調だったに違いなく、連れ合いとも仲のよかった大沢夫妻も、あの世で腹をかかえて笑いながら聴いていたに違いない。
 涙はやはり人の心の塵(ちり)を払い、一段一段、澄んだものにしてくれるように改めて感じた。



2020年8月3日月曜日


コラム176 <涙―その①>

 住まい塾で家をつくり、その後も親しく交流を続けてきた大沢一男さんが脳梗塞で倒れたのは、もう10年程前のことになるだろうか。恢復がままならず、まだ右脚に大きな装具を付けていた頃、住まい塾運動のよき理解者であり、しばしば酒を呑み交わし、かつ茶の湯仲間でもあった奥さんの大沢由利夫人が突然に急性白血病と診断され、迷われた末に抗ガン剤治療を選択された。だが病状は悲しいかな、急速に悪化の一途を辿り、まもなく亡くなられた。
 お別れの会では歩くのもおぼつかなかった一男さんが悲しみをこらえながら、しゃんと立ち挨拶をされた。その後時々訪ねたり、電話で話したりしたが〝すっかり涙もろくなってしまって……〟とその度に涙ぐまれた。このような姿に接していると人間の心は余分なものを涙と共に洗い流していくのかと思われた。涙は天が人間に与えた滴(しずく)のようにさえ感じられた。

 それから数年して、こんどは私が脳出血で倒れた。私が千葉県松戸市にあるリハビリテーション病院でリハビリに励んでいた頃、茶の湯仲間と共に、車に同乗し、見舞いに来てくれたことがあった。大沢さんの自宅からは距離もあるし、予想もしないことであったが、茶の湯仲間達の優しい気遣いと取り計らいであった。我々は顔を合わせるなり胸が熱くなり涙が ほほ を伝った。腰に巻いたポシェットから徳利とさかずきの絵の脇に酒と涙と添え書きのしてある少々シワシワになった絵手紙を、クシャクシャになったお見舞い袋と共に取り出し、〝やっとここまで描けるようになりました……〟と私に手渡してくれた。私とは反対の右片マヒなので、特に由利さん亡きあとの数年間はさぞかし不自由な思いをしながらの生活であったろうと思われ、再び涙がこみ上げてきた。私からの手紙には必ず不安定な字で返事をくれた。あれはうまく動かぬ左手でけんめいにかかれたものだったろう。今にしてそれがよく判る。後遺症の残り方は共通するところもあるだろうが、人それぞれによって皆違うし、それでもその身体の辛さとさまざまに錯綜する心の苦しみがわかり合えるようになったからこそ、瞬時に涙がこみ上げてきたのである。
 〝同病相憐れむ関係になりましたね〟と手を握り合った時には目に涙は残っていたもののいつもの一男さんの笑顔に戻っていた。
 その大沢さんも先日、希望に添って病院から自宅に戻り、大好きだった庭を眺めながら亡くなられた。
 御夫妻共々楽しいよき思い出を沢山残してくれた。死期が迫っているのを悟ったのであろう。自宅に戻られてから数日して亡くなられた。最後の二日間電話で話し、〝フィーリングが合う人どうしは、あの世でもまた会えるらしいよ〟との私の言葉に弱々しい声ながら、
〝タカハシさんと私はフィーリングが合うから、また合えるよね……〟
と返してくれたことが、悲しくも切ない最後の言葉として胸に刻み込まれた。

2020年7月27日月曜日


コラム175 幸福のパンデミック

 世界が平和であるなら、毎年投じ続けられてきた各国の巨額の軍事費は不要となって、それを平和構築のために有効に使えるようになったら、世界は何千年も人類が夢見続けてきた平和なユートピア世界に、現実にどれ程近づくことでしょう。平和な活動など考え出したらいくらでもあります。
 自分達の手では対策の立てようもない貧困な人々の救済もそのひとつでしょう。「戦争」というものがあるからこそ人々は「平和」ということを考えるようになるのだ、などと論理学から抜け出してきたようなことを言う人もいるし、そんなことは夢物語りだと主張する人々も多いでしょう。これまでの何千年、何万年、いやそれ以上の歴史の中で、戦さが止んだことが一度でもあったか?!と反論されれば確かにその通りで、軍事力、防衛力の不足から、力の論理であっけなく侵略されたりした例も多く、絶望的に思えますが、だからといって未来永劫不可能だという論拠にはならないものでしょう。全世界に平和構築への決意と実践が無かったのです。もう時代は変わったのです。


 平和は小さな単位でならいくらでもあったのです。人間の集団単位が大きくなって力を持つようになれば、欲に歯止めがかからなくなるのです。自由主義経済とはいえ、限りなき欲望の渦に巻き込まれていく現代の資本主義経済を見ればよく判ります。ちょっと前までは
   〝溜(たま)って汚くなるのは 金と灰皿〟
などと、のんきなことを言っていたものですが、このまま放置すればこの中に人類そのものも入ることになるかもしれません。
 愚かな者が沢山いる一方で、人類には賢人が沢山いるのですから、今はそうした人々の知恵を結集して世界が「幸福のパンデミック」に向かうまたとないチャンスではないかと思えるのです。

2020年7月20日月曜日


コラム174 「幸福のクラスター」づくりへ ②

 小さな単位であっても、いい仲間達とのよきつながりや共感関係の拡がり、あるいは近代文明が未発達の小さな村社会の平和などは「幸福のクラスター」と呼んでいいものではないかと思う。
 「幸福のクラスター」と呼べるような、この小さなクラスターの芽をどんどん拡げて、「幸福のパンデミック」を作り出す方法はないものか。

 〝よき仲間とつき合え〟とは孔子(BC351479)の教えだが、2500年以上前に教えられたこの教えさえ、なかなか実現がむずかしい。色々な人がいるからである。(同様の言葉が釈迦(BC67世紀頃)の教えの中にもあったように思う。)しかし、このことに全世界がはっきり気づき、決意して、実践の輪を拡げていくならば、「幸福のクラスター」はあちこちにつくられていくのではないか。ソクラテスに師事したといわれる古代ギリシャの哲学者プラトン(BC427347)も人類のユートピア建設を夢見た一人だ。

 現在、最も必要なことは言葉でいえば簡単だ。世界中の皆がむずかしいことを言い合わず、もっと仲よく、協力的に、互いを信頼し合いながら助け合うこと。新型コロナウィルスとは逆に、「幸福のクラスター」を拡げると決意し、そのためには何をどうしなければならないかを考え出し、全世界でそれを実践に向けて行動を起こすことだ。人類はこれまでの数千年の歴史の中に数多くの賢人を輩出してきた。それでさえも、実現し得なかった「幸福のパンデミック」をこれからの人類の知恵の総力をもってすれば、可能となる日が必ずやってくると、私は確信する。そのためには、それでなくとも当てにならない国におまかせでなく、まずあなた自身が、私が、我々が「幸福のクラスター」の種火となり、決意し、実践することだ。


2020年7月13日月曜日


コラム173 「幸福のクラスター」づくりへ①

 全世界に猛威をふるっている今回の新型コロナウィルスでは「クラスター」とか「パンデミック」とか、これまで耳にしたことのない言葉を、どれ程聞かされたことか。その度に、ウィルスとは逆の「幸福のクラスター」とか「幸福のパンデミック」といったものは起きないものか、人類の知恵をもって起こせないものか、と思わせられた。「幸福とは何ぞや?」などと難しいことを聞かれても私には答えようもないし、哲学者や思想家たちがこれまで書き遺した『幸福論』などを読破してみても、おそらく 幸福とは何か といった問いへの確信に到ることはできないであろうし、最後は結局、自分の胸に聞くしかないということになるであろうと思う。人間にはそれがどういう状態をいうのか、ある程度までは判っているからである。「愛とは何か」と問われるのと同様である。

 逆に残虐な戦争の繰り返しを幸福だと思う人はいないであろうし、啀(いが)み合いの中に幸福を感じる人はないであろうと思う。



2020年7月6日月曜日


コラム172 <知ること>と<身につくこと>———知識と実践②

 知ることは身につくことの始まりだというけれど、孔子も釈迦も「知ってやらない」ことを「知らずにやらない」ことよりも下に置く。おそらく、キリスト教でも同じように教えるのではないか。知って終わりでは知らぬと同然、ほとんど意味を為さない。このことを皆はどう考えるだろうか?
 知らないよりはましだと考える人もいるだろう。だが、孔子も釈迦もキリストも、なぜこれを逆転して教えたのか。数千年前からの教えである。知っていることをどれ程多く実践できないままできたか、と考えると愕然とするが、元々「知る」という行為は実践するために、学び、知り、反省する———その繰り返しの上にはじめて、じわりじわりと身についていくのである。自分の経験からしても生半可な覚悟では成らぬものだと知った。反省に反省を加え、さらに反省、反省、反省を100回繰り返してもまだ身につかぬ。気性、性格、さらに人間の出来具合ともなると、これはもう覚悟を伴った修行・精進の域である。溜息が出ても、なお諦めずにチャレンジする。「諦観の念」とは、〝あ~あ、もうや~めた!〟といった簡単な境地ではなく、諦めてもなお、明らめるところまで諦めないでいく。そのプロセスを悟りへの境地に近づいていくことになるのだそうだ。繰り返し、繰り返し、あきらめずに、繰り返す——つまり反省によって知り得たことを身につけていく人生。
 これが最上の人生というものではないだろうか。

2020年6月29日月曜日


コラム171 <知ること>と<身につくこと>———知識と実践①

 片付けや整理法がいい例だ。モノの本でいくら知っても片付かない。知るばかりで身につかないからである。
 翌日やることは前夜の内にしっかりメモしておいて……。だが三日坊主で続かない。これもそうやればいいとは知っても身に付くまでいかないからである。
 よくない癖や習慣を、親に、まわりにいくら注意されても、なかなか直らない。言われることが判っていても、日本語の理解という程度に終わっていては何遍言われても直るものではない。すべては私の経験を書いているのである。スキーだって、他のスポーツだって同じだ。身につくとは、そう簡単なものではない。

 久々に、仲よしの大家さんが見えたというので階下に降りて行った。〝思ったより顔色もいいじゃない……安心したよ……〟と言われたので、私は〝リーダーたるもの辛くとも辛さを顔に出してはならない……〟と言って、その通りだと笑い合った。さて、翌朝来てくれたヘルパーさんと顔を合わせるなり言われた。
 〝タカハシさん 今日はだいぶ辛そうですねぇ……〟そんなものである。

知ることあまりに多く、身につくことあまりに少なし

 最近、このことを痛切に思うのである。





2020年6月22日月曜日


コラム170 <情報>

 私は新聞というものをとっていないし、めったに読むこともないから、訪問客が読みかけの新聞を置いていったりすると、そのまま捨てたり、燃やしたりする気分になれず、新鮮な気持で隅から隅まで読む。たまに読むから余計に新鮮に感じるのかもしれないが、中には役に立つことも時々書いてある。


 以前、行きつけの寿司屋で、置いてあった新聞を〝ヘェ~〟だの〝ハァ~〟だのと言いながら読んでいたら、寿司屋の大将に〝いまどき新聞をそう感動しながら読む人もめずらしいねえ……〟と言われたことを思い出した。
 〝俺なんか新聞二つ、週刊誌23冊は読んでるよ〟
 〝何で?〟
 〝カウンターをはさんでの客商売なんだから客と話が合わないと困るじゃないの。先生(私のこと)は困ることないの?〟
 〝全然……〟
 〝変わってるわ、やっぱり……〟
 〝そんな余計なことをしている割に、寿司の腕前の方はさっぱり上がらないねえ……〟
と冗談半分に言い返してやった。
 長いつき合いだから、そんな会話も平気だ。寿司屋なんだから、そんな無駄なことをしてないで寿司の研究にでも精を出してりゃいいものを……と思ったのが冗談以外の半分である。

 現代は情報時代だから、得ようと思えば情報は山程得られる。私などそれでなくても余計な情報はもう沢山だと思っている方だから、過多な情報はたまらない。Mailも〝気が滅いる〟と言って使わない。
 私の手にするものはもっぱら本と時々雑誌の類だ。TVは全く見ないということもないが、かなり制限している。インターネットは使わない/使えない。私には外からの情報よりも自ら思うこと、感じること、内部から湧いてくること、反省すること、行動することの方が、よほど大事なのだ。そういう意味でも、都市生活と山中生活がほぼ半々というのが私にとってはベストバランスだ。
 
山の中で何をしているんですか?瞑想でもしているんですか?なんて聞かれることがあるけれども、山中に身を置けば何もしなくとも、さまざまな思いや気づきが自然に湧いてくる。
〝我、インスピレーションと共にあり〟という感じだ。そこにこそ、真実の自分が見えてくる。
だがこれが、都市生活ではベクトルが逆になる。内部から湧いてくるというよりも大方、外から押し寄せてくる求めに対して必要に迫られて反応し、返しているだけなのだ。都市生活と山中生活の大きな違いがここにある。
 自分の真の姿をほとんど発見しないまま、人生を終えていく。何のための人生なのだろう。

2020年6月15日月曜日


コラム169 <土釜>

 まだ土釜がそんなに流行っていなかった頃、信州松本市内のある店で土釜を買った。中町通りをぶらぶら歩いていて、ふと立ち寄った陶器店主にすすめられて求めたものだった。土釜にしては珍しく、素焼きではなく厚く黒釉がかかっていて、注文が多くて届くまでに三カ月ほどはかかるという。土釜にしては値段も安くはなかった。数か月後、届いた釜には達筆な筆字で店主の思い入れが巻紙状の手紙が添えられていて、最後に〝ではどうぞ、美味しいオカマライフを!〟と書かれてあった。そこに店主、小林仁さんの人柄が表れていた。この店の名は『陶片木』——店の名前からして、もうすでに店主の性格を表していた。

 楽に慣れてしまっていた私は、それが届いてからもしばらくは電気炊飯器を使っていた。土釜の方がたしかにうまいと判っていたが、油断すると黒焦げにしたりして、付きっ切りの面倒が先に立って、やはり日頃はスイッチポンの電気炊飯器だったのである。
 やはり楽なものが脇にあっては、せっかくの土釜も生きない、と思っていた時に、ちょうど別荘地の管理人が自分の電気釜が故障したか何かで欲しいといってくれたので電気の方は偶然無くなった。キッチンタイマーを使うようになってからは火加減調整のタイミングに失敗することも無くなった。何せ、標高1600メートルのところでの生活なのだから、朝炊いても夜にはコチコチになる。夜に炊いてはなおさらだ。夜の冷や飯もさびしいし、夜粥というのもいただけない。その頃、私の山小屋には電子レンジというものが無かった。
失敗を幾度かしているうちに、自然にそうなったのだが、今は夜に炊きたてを、翌朝には朝粥にして戴く——このスタイルがすっかり定着した。修行僧にでもなったような気分で、これがまたいいのである。朝粥などと今は特別のことのように言うが、事の起こりはこんなものだったのではないかと思うようになった。
 粥では力が出ないという人もいるかもしれないが、そんなに体を使って力仕事をする訳でもなく、かえってこの方が私の身体にはいいような感じだ。おかずも自然に簡素になる。一汁一菜プラス一品位がバランスのいいところというべきか。

 あれから15年、今は土釜と炊き上がりがほとんど変わらない高級炊飯器がさまざまに開発されているようだ。人間とは便利・簡便にいかにも弱いときている。技術開発の世界もそうした人間欲求のもと、ひたすら歩んできたが、その発展のうらで人間として何か大切なものを大きく損なってきたと思えてならない。そのひとつが手仕事である。

 他に楽な手段がないとなれば、慣れと工夫があるのみ——そうなると土釜で飯を炊くオカマライフなど何の面倒もなくなることを経験で知った。現在この身体では無理だが、もう少し快復したら、またオカマライフに戻ろうかな、それともスイッチポンに戻るかな?


2020年6月8日月曜日


コラム168 < 新型コロナウィルス:濃厚接触?>


 日本語をもっと大切に使いたいと常々思っている私は、この「濃厚接触」という表現に、未だに違和感を感じ続けている。どこで誰が決めたものやら、コロナ流行の最初から使われていたから厚生省がらみの政治家達だろう。ジャーナリスト達も無批判に右倣(なら)えだ。
 濃厚を国語辞典で調べても
     色・味などが濃いさま⇔淡泊
     物事の気配などが強く感じられるさま⇔希薄「敗色——」
     男女の仲が情熱的であるさま「——なラブシーン」       (『辞林21)
 確かに濃厚感染という言葉があるが、これは今回の濃厚接触とは意味あいがだいぶ違う。これと同時並行に〝三密を避けよう!〟との声がかかった。三密とは密閉空間・密集場所・密接場面をいうらしい。ならば余計、濃厚な接触ではなく、濃密な接触の方がすんなり来るし、ニュアンスとして国民にも通りがよかっただろうと思う。
 別に腹を立てる程のことではないけれど、国や都道府県からのお達しならばなおのこと、せっかくの日本語の豊かなニュアンスをもっと大切に正しく使って欲しいものと願うのである。



2020年6月1日月曜日



コラム167 < 知足 / 不知足 >

頂き物をしながら、御礼を申し上げるのを失念することがある。うっかりというのであればまだしも、ほとんど礼を述べる情動すら湧かないとなれば、これはもう行き過ぎた物質社会の中で人間関係―― ひいては健全な人間社会の第一条件を欠いているといわなければならない。「衣食足りて礼節を知る」が裏目に出た形だ。衣食に不自由した困窮した時代には、こんな時代になるとは予想もしなかったに違いないが、なんでも「過ぎたるは及ばざるが如し」で、足ることを知る、即ち「知足」は人間の心が平穏であるために大切な条件である。現代は足ることを知らない「不知足」だらけの社会である。これがどれ程、社会と人心を蝕んでいることか。
 我々の親の世代までは、頂きものには礼状を書くことが基本で、葉書では幾分ていねいさを欠き、電話での礼では失礼になる、といった感覚を持っていたように思う。やむを得ず電話で済ます時には、必ず最後に〝電話で失礼させて頂きます……〟とつけ加えたものだ。私の母親はまめに礼状を書く人だったから、子供達三人にその躾のようなものが余韻として引き継がれている。
母曰く、
 〝誰から頂いたか判らぬ状態で口にするものではありません〟
 だから頂き物の箱などには必ず「○○さんより載く」とサインし、「ありがとう」とまで書き込まれてあったものだ。頂いた気持は感謝の気持と言葉をもって返す―― これが返礼というものであり、人間関係の第一歩だと思うのである。礼を期待する位なら、差し上げぬ方がいいといった論法は上述したことと全く次元を異にする。こうしたことは小さいことながら人間の社会をつくっていく上で大切な一歩であろうと思われる。
 「失念」とは、仏教では「正念を失うこと」と教える。

2020年5月25日月曜日


コラム166 <うらやましい人生>

〝あなたの人生はうらやましい限りだ〟としばしば言われる。仕事は現役なのに一年のほぼ半分を山中で暮らす生活のことだ。決意あって恵まれたが、その決意も不易の要につき動かされてのことだ。当初は年の1/3位から始めたが、段階的に増やして、現在は年の半分を超えている。はじめたのは35才の頃だから、もう35年以上になる。
私には自分の人生に心がけていることがある。少しの余裕をもって生活すること。便利に染まらぬこと。そして何よりも、自分らしく生きることだ。身勝手という意味でのワガママはいけないが、他人には我が儘に生きるすすめ、などと言っている。だが、この我が儘も決意なくしてはやってこない。 
福島の川俣に「扇田食品」という、うまい豆腐屋がある。私が知った頃には高橋虎太郎さんが社長を務めていて、豆腐コンクールで日本一に輝いたこともあった。自分でもしばしば取り寄せ、豆腐好きと聞けばその人にもよく送ったりした。その人達から、また感想と感動の手紙が届く。大会社になら出しはしないが、個人規模のような店になら、豆腐を作っている人達に向けて私の元に届いた感想と感動の手紙を送る。虎太郎さんからは感謝の手紙が届く。その中には、〝朝礼で従業員達に頂いた手紙を読み上げて聞かせました。どんなにか大きな励ましになったか知れません〟と書いてあった。
私の人生に、うらやましい面が多少でもあるとすれば、そんなささやかなことのできる心の余裕を内に残しているという位のものだろう。それも生活のリズムのおかげである。
倒れている人を見かけても、〝どうしたのですか?〟と声もかけずに先を急ぎ、介抱どころではない、といった生活はやはり忙の字そのままに、心を亡ぼしていく生活であると思って間違いないだろう。こんな人が、今、どれ程多いことだろう。
そんな人生が圧倒的多数を占めるようになった日本の都市社会に生きる我々は、人間の価値に重きを置くことを忘れ、足元を流れてゆくスピードに刹那的に対処していくばかりだ。自分がどこに向かって歩いているのかも判らず、あてどなく彷徨い歩いて人生を終える。死の直前にこんなはずではなかった、と気づいてももう遅いのである。徘徊状態は、老人特有のものではなく、いまや日本人及び日本社会全体の問題である。

2020年5月18日月曜日


コラム165 <今は亡き母上へ>


わがまま放題に 育ててくれて ありがとう。

わがまま放題に 育ってしまって ごめんなさい。
  





2020年5月11日月曜日


コラム164 <ステイホーム>


カーテン開けて
ゆれる若葉に    こんにちは

2020年5月4日月曜日


コラム163 <顔を洗うが如く>

私は毎朝夕、聖書を二章ずつ読むことにしている。時には仏典の時もあるが、これを日課として欠かさない。顔を洗うが如く、心も毎日洗う必要があると思うからである。反省とは心を洗い、新しい自分に向かうことだが、なかなか理想通りにはいかない。それでも洗わぬよりは、まだましだろう。
〝あなたはクリスチャンですか?〟と聞かれることがある。
そう問われると、キリスト様に申し訳ない気がするから、〝そうです〟とは言わないことにしている。もしもキリスト教が弾圧を受けたなら、私は隠れキリシタンになるであろうし、仏教が弾圧を受けたなら、私は隠れ仏教徒となるだろう。なんとも不埒(ふらち)な存在だが、ただただ人間になりたいだけである。そのためにも、人間真理の源流に一歩ずつでも近づきたいと念うのである。


2020年4月27日月曜日



コラム162 人の心に4つあり : 再び ―― 心根のやさしさ
 
 随分前のことになるから正確には覚えていないが、どこか地方の野街道の脇の斜面に、雑草にうずくまるようにひっそり置かれた石仏か石碑に刻まれていた言葉である。相当古いものらしく、石も朽ちかけていた。そこにはやっと読める字で、こう刻まれていた。
〝人の心に4つあり〟そのあとには〝裏と表と陰と底〟と続いていた。
人の心の辛酸をなめた人が刻んだものに違いないと思われて、この言葉は私の心に鮮明に刻まれた。

 〝人の心に4つあり 裏と表と陰と底〟

2018年2月11日(日)の住まい塾東京本部での定例勉強会後に私は脳出血で倒れた。以来、一年余りの長期リハビリ生活を余儀なくされた。退院後の快復も捗々しくなく、今冬も二カ月余りの再入院をはさんでリハビリに励んでいる。
身体の自由を失えば、人の心がよく見える。最初に想い出されたのが、上記の言葉である。その他、考えさせられたことが山程あるが、左半身のシビレが強く、今はそれを整理する気力も脳力もない。
あの世に持っていけるものは心しかないと言われる。地位・名誉・財産・権力などという重た過ぎるものは持って行きたい人もあろうが、持ってはいけない。
心のとは平たくいえば、心根というものであろうと思う。4つの心のうち、持っていけるものは、究極、この心の底―― 心根だけではないかと思われてきた。
どんなに虚飾に満ちたことばよりも、どんなに美味なみやげよりも、優しい心、優しい気遣い、即ち、優しい心根というものが何よりも心のなぐさめになるということを感じ続けた。それが表情に、言葉に、眼差しに、ほほえみに表れる。何と静かななぐさめであったろうか。
献身的に尽くしてくれた連れ合いや、二人の姉は勿論のこと、主治医、看護師、介護士、リハビリのセラピスト達、見舞ってくれた多くの心やさしき人々……。そして仕事の仲間達。
人間にとって最高のもの―― それは心根の優しさにあることを感じ続けさせられた二年間であった。これからもこの実感は決して変わることはないだろう。心のやさしい人々に囲まれて生きていることは何と幸いなことであろう。病を通じて心の底を磨き、澄んだものとすることが、人生最大の目標であると神様が教えてくれたのだ。

2020年4月20日月曜日


コラム161 Less Is More

日本には世界遺産に登録されたところが沢山ある。今は新型コロナウィルス騒ぎで激減しているが、近年海外からの観光客が急激に増えている。
 数年前になるが、私の連れ合いが、かつてホームステイしていた夫婦の孫娘(マーサ)がイギリスからやってきた。滞在期間は一ヶ月というから、奈良、京都に始まり、見たいところはたくさんあるだろうに……と思いきや、本人は全くの無計画。仕方なしに世界遺産を含め、こちらで計画したところをあちこち見て歩いて、最後の頃に訪ねてきたのが信州八ヶ岳の私の小さな山小屋であった。
〝アメイジング!!〟
はじめて訪ねた異国の地で、少々疲れたこともあったろう。
沢山見た中で最も安らぎ、最も印象に残った場所のひとつがこの小さな山小屋であったらしい。青い鳥を求めて かけめぐった果てに見つけた青い鳥であった。
 「Less Is More」という言葉が頭をよぎった。多いことは決して喜びや、幸せの基準にはならない。絢爛豪華もその通り、贅沢もその通り……。
 我々は、この一事をもって人間の幸せの何たるかを悟ることが出来る。実際、食べることにさえ事欠く貧困の辛さというものもあるが、かといって行き過ぎた豪華な食事も幸福を保証するというものではない。それよりもシンプルで素朴なものでもいい、思いのこもった料理を気のおけない連れ合いや仲間達と語り合いながら平穏な中で食する―― これ以上の贅沢はない。
 以前、マーサのグランドマザーとグランドファーザーがこの山小屋に数日滞在したことがあった。日本に滞在中、最も想い出深いところだったと彼女に告げたらしい。
 「Less Is More
 これまで幾度となくこの言葉に接しながら、今回再びこの言葉を思い起こさせたのだった。 
 こうした思想(感覚)は、茶人 千利休に始まったように思っている人が多いが、長い歴史の中で多くの共感を呼んで、今日まで日本人の心の中に根付いているところを見ると、日本民族の感性の中に、この特性が深く根を張っているものに違いない。だが、日本人はこの日本民族の特性から急速にはなれていっている。
 それにしても、最近しばしば世界遺産に指定されるためにやっきになっている自治体を見かける。観光客を多く呼び込むためのがんばりならば、世界遺産指定制度の本来の目的を大きく欠いていると言わなければならない。この制度が当初めざしたのはそんなものではなかったはずだからである。



2020年4月13日月曜日








コラム160 朝の野鳥たちとのあいさつ




朝日の差し込む和室の障子の外で野鳥が鳴いている。障子を開けたら、土佐みずきの若葉の間でシジュウカラが小さな目をこちらに向けて囀っている。
まるで、
〝いつまで寝ているの?〟
と言わんばかりに……。
 私は、
〝オハヨウ!〟
と声をかけた。
 シジュウカラは
〝起きてくれてよかった…!〟
とばかりに小枝の上で一躍りして、どこかへ飛び去った。また来てくれるかなぁ。



2020年4月6日月曜日



コラム159 <自然(ジネン)3句>


いつになく
  風に揺れるよ 白い 山吹き

白山吹
  一夜の風に散りだにも
  力の限り 一時(いっとき)を咲く

法爾自然(ホウニジネン)
  黙って咲いて 静かに散るる
        



2020年3月30日月曜日



コラム158 <散歩中に感じたこと②>

 土手の散歩コースには、所々にベンチが置かれている。そのベンチに腰掛けてうなだれている人に声をかけたなら、最初は何も応えてくれないかもしれない。怪訝(けげん)そうな顔をする人さえいる程だ。だが、二度、三度と繰り返している内に、余程のことがない限り、こたえが返ってくる。
 〝おはようございます〟
 〝おはようございます〟
 〝今日は暖かくて、いいですねぇ〟
 〝そうですねぇ〟
 こんな調子だ。そのうち、かすかにほほえみが返ってくる。
 川面に浮かぶ鴨の親子達を眺めながら
 〝みんな仲よくていいですねぇ〟
丘に上って日向ぼっこしている鴨達を見て
 〝鴨達もやはり暖かいところがいいんでしょうねぇ、気持ちよさそうですねぇ……〟
でもいい。ちょっとしたことばのかけ合いが人の心を和ませる。心中を察することなどできないが、その人は自分一人ではないことを感じて、笑みをもらしたのだ。小さなことだが、自主トレを兼ねた散歩道で、こんなことを感じるようになった。
 都会では人と人との関係に多く潤いを欠くようになった。日頃の小さな積み重ねが、いつの間にかそうした状況を生んできてしまったのだ。




2020年3月23日月曜日


コラム157 <散歩中に感じたこと①>

仕事場のすぐ近くに柳瀬川と新河岸川の二本の川が流れている。荒川の支流に当たるらしい。土手には枝ぶりのいい桜が続いていて、春には花見客で賑わう。自主トレをかねて散歩に出かけたのだが、近くにこんなにも美しい散歩コースがあるとは知らなかった。渡る橋の途中には、欄干に手を置きながら川の流れを見下ろしている人あり、身じろぎもせずはるか遠くに目をやっている人もいる。橋の上から鴨の泳ぎをじっと眺めている人もいる。人生のはかなさを思っているのだろうか……そんな風に見えるのは私の今日の心を映してのことかもしれない。
 表通りには車がひっきりなしに通っているのに、この散歩時間は静寂だった。二本の橋を渡り切って、すぐ右折して土手に入った。久々の散歩であった。ジョギング中の人もいれば、中には私のように身体が不自由になって懸命にがんばっている人もいる。途中のベンチに腰掛けてどこを見るでもなく、ただただ眼前の景色に目を任せている人もいる。何を思っているのだろうか。
 身体の状況が変われば、心に映る景色も変わる。脳出血を起こす以前の健康な私には、こうした姿は、明確には映らなかったに違いない。普通であることが大いなる恵みであることにも気付かなかった。と同時に、健康に生きていることが、どれ程奇跡的な恵みであるかにも気付かず、当たり前のこととして感謝もしなかった。朝・夕の感謝の祈りとはいっても、口先だけだった。哀しいかな、そんなことも、なってみてはじめて気付くことだった。人に夢と書いて儚(はかな)いと読む。仏教でいう「諸行無常」と重なる。そんなことを理解しながら恵みへの感謝の念を忘れずに生きるのが人生というものではないだろうか。

2020年3月16日月曜日


コラム156 <多忙 再び>

 これまで「忙」とは心を亡ぼす意なり、と幾度も書いてきた。忙しさはいかなる意味でも心を亡ぼすものだと私が思うのは、それによって人間は静寂な時を失い、同時に深遠な思いをも失うからである。朝に峰の向こうから立ち昇る太陽を見て、生命の息吹と希望の恵みの拡がりを思うこともなく、夕には地平に沈む太陽を見て、その深遠さに心打たれることもない。

 我々は便利と共に多忙を得たが、それと全く同時に、静寂の時を失い、深遠な思いを失い、神聖な思いに浸る時を失った。そして当然の帰結として現代人の多くが信仰を失った。
 心の存在、魂の存在に対する確信を失い、来たる世界と、往きし世界の存在を信ぜず、信じるのは無常のこの世(現在)のみとなった。いや、それすらあやういものとなった。

 私は東から昇り、西に沈みゆく太陽を眺めながら、太陽を神と崇め、信仰を抱くに至った人々の心情が理解できる。時に灼熱地獄のような様相を見せるが、この地球に計り知れない生命の恵みを与え続けている。もしも、太陽が失われたなら、どのような世界になるだろうか。我々人間の命も、地上の動物たちの命も、野鳥や草木の命も一瞬にして失われるだろう。
Nature Is My Life
〝自然は我が人生〟とも、〝自然とはかけがえのないもの〟とも訳される。このシンプルな言葉の意味をもっともっと重大なこととして受け止めなければならない。自然から受ける恩恵は計り知れず、自然は我々の生命そのもの、存在そのものだからである。
 一時期、アイヌやインディアンの遺した記録を集中して読んだことがあるが、自然への畏敬の念を、現代人は恐ろしいまでに失ってしまったことを改めて痛感させられたものだった。

2020年3月9日月曜日

コラム155 <主食・副食・間食・つまみ食い>

 早朝、床の中で、どういう訳か「主食」と「副食」という思いが閃いた。主食・副食といっても食事のことではない。日々の読書も、やることも、こんなつまみ食いのような生活を続けていてはいけないと思っていたからだったろう。その都度、手当たり次第に、関心が向いたなりに、何となく読み、何となく学んでいるような生活……。比較的、継続的に取り組んできたテーマは勿論あるが、日本語のことを学んでいたかと思えば、美術や詩歌のこと、また茶の湯を学んでいたかと思うと原発問題、パレスチナ問題……と関心があっちに飛び、こっちに飛びして、生きる腰の構えをしっかりしないまま、まるでつまみ食いのような人生を送っている。その割に私の人生の主軸となるべき建築のこと、住宅のこと、生活のことについては思いの外、学びが少ない。これでは主食と副食が逆転しているようなものではないか。さまざまことをさまざまに学び、学びが広範囲に及んだといえば聞こえはいいが、私はもっと自分の主食となるべきものをしっかり見定めて、それを日々しっかり摂取し続けることを基本としなければならないと思ったのだった。私の主食にあたるものとは何か、と考えるとやはり人間としてのあるべき姿を追い求めることであろうと思う。地球上に生を受け、地上に送り出された意味を考えれば、やはりそれが常に中心課題でなければならないと思う。
 第一に心の問題、精神の問題、魂の問題……、そうなればどうしても宗教上の問題と関わりをもってくる。
 第二の副食たるものの中心は何かと考えれば、私の人生上の職業の選択は建築の中でも住宅であるのだから、この分野にもっと深く、幅広く、精魂を込めて取り組むことだ。それを通じて、人々に安らぎと平和を与えることだ。そのためにも、せっかく日本人として生まれたのだから、日本文化の代表のひとつ、茶道の精神も窮めたいし、古典文学、詩歌、古典芸能、特に能などを通じて、日本語及び日本人の精神に精通したいものと思う。
 学びたいことは他にも色々あるが、主食・副食たるものと、間食・つまみ食い的なものとをしっかり見きわめて取り組んでいこうと思う。バランスのとれた生活をしていくことが大切なのは食生活と同じであろう。
 今日までは、おぼろげに目標はあったにせよ、しっかりと見定めた目標が無かった。師・白井晟一に若い時分に言われたことが思い出された。〝構えをしっかりしないで色んなことを学んだとて何のためにもならないぞ!〟
 あれは当時の私の心境をさしてのことであったろう。このことに改めて気付かされた今日をもって私の人生の学びは一段しっかりしたものに変わることだろう。



2020年3月2日月曜日



コラム154 <言葉が軽いことへの戒め> 

 ものづくりの中でも、特に家づくりは人間どうしの共感・信頼関係というものが無ければ始まらないものだ。さりとて、出会いの最初からそんなに深い人間関係が築かれているはずもない。相方共に打ち合わせを重ね、つき合いを重ねる過程で徐々に醸成されていくものである。
 「言葉が軽い」というのは、徐々につくり上げられるべきこの関係が、最初から存在しているかの如くに錯覚しているところから生じてくるのではないかと思う。
 私の書いた本を読み、「住まい塾」が特集された雑誌などを見て訪ねて見えたのだから、すでに共感と信頼感をお持ちなのだろうと担当のスタッフは考えるのかもしれない。それも勿論あるだろうが、残念ながら一冊の書物が人間と人間を精神的に深く結びつけた時代は疾うに去って、いかに精魂を込めて著された本も、雑誌も、ほとんどが「情報」の渦の中に巻き込まれていく。真の信頼・共感関係は未だに、生身の人間と人間の間に築かれていくものであることを忘れてはならないと思う。
 
 こちらが(あるいは逆の場合もあるが)親しげに話すのに対して、相手はまるで以前からの知り合いの如くに話されることに時に不快を感じることもあるのである。
 〝住まい塾のスタッフはなぜそんなに親しくもない建主に対して、親しげな口調で話をするのですか?……〟
 実際にある人から私に届いた手紙の一節である。
 人間どうし感応し合って自然に ”親しく”  なっていくのはいいが、注意せよ、 ”親しげ ” になっていいことはないものだ。
 これが軽い言葉となって表れるからである。
世には慇懃無礼(いんぎんぶれい)ということもあるし、礼儀作法の手引書から抜け出てきたような堅苦しい者もいる。こうしたタイプを快く感じない人がほとんどであることは救いだが、いずれにせよ、自然体であることが一番だろう。そうあるには無理をせず、常に自分を自分らしく磨いていくことが必要になるのだが、なぜかこれが一番むずかしいのである。

振り返ってみると、山中での人間つき合いは互いに自然体であることが多いのに気付く。自然環境の中では、つき合いに余分な要素が除かれ、自然体でのつき合いが一番似合うと、おのずから感じ取るのだろうか。あるいは気の合った人間としか付き合わずに済む、ということもあるのかもしれない。どんな場合でも、あまり虚飾や肩肘張って生きるより、地位だの、名誉だの、金持ちだのといったそんな余分な要素はなしにして、リラックスした関係でつき合うのが人間にとって一番大切なことではないだろうか。
 あの世に持っていけない余分なものにこだわりながら生きている人間達を、ピーチクパーチクの野鳥たちも牧場の牛や馬、野生の鹿たちも、気の毒に思って見つめているのではないかと思う。


2020年2月24日月曜日


コラム153 <人心の原則>

 駅前でタクシーに乗ると、運転手の応対ぶりでその街の人心の平均値が判るという。この話はまんざら当てにならぬ話ではない。仕事柄あちこちに出掛けることの多い私もそう思うからである。
 二年程前に記したメモ書きがひょいと出てきた。こちらはタクシーではなく、バスの運転手である。
 東上線(有楽町線)志木駅前に停車中だったバスに女性客が入ってきて、ベテラン運転手に尋ねている。
 〝このバス○○へ行きますか?〟
 〝行かない……〟
 〝何番に乗ればいいでしょうか?〟
 〝国際興業さんの方だから知らねぇなぁ……〟
 何だろう、この運転手! という空気が車内に漂った。その時の車体ナンバーは「所沢200 18-03 下南畑 行」 夕方 6:20発。私は10分程して市場坂上というバス停で降りたが、その間、自動音声の案内以外一言もしゃべらず、バス内に異様な雰囲気が漂い続けた。
 社内で何か気分の悪いことでもあったのか知らないが、バス運転手の資格は運転技術だけではない。もっと親切にすりゃあ、乗客も自分も気分がいいだろうに……
 あの調子では終点まで一言もしゃべらない状態で行ったことだろう。親切は親切を生み、粗暴は粗暴を生む――これは人心の原則である。
 マスクをしていたから最大限好意的に解釈すれば風邪でも引いて、ウィルスを撒き散らさないように との配慮だったのかもしれない。が、その可能性は無いな。
 客が下車するときも、一言もなく、ありがとうの気配も見せず、じっと前方を見据えたままだ。
 これはちょっと危険な心理状態だと思われた。ベテラン運転手だから、こういう不届者であっても社内で注意する人がいないのかもしれない。
 仕事の分野を問わず、こういう傾向を帯びやすいからこそ余計に、ベテランという者は常に自省の心を忘れずに居なければならないものと思う。ストレスの多い時代に、これ以上ストレスを撒き散らすこともあるまいに。