2020年11月30日月曜日

 

コラム193 <巨大化する資本主義社会はどこへ行く —— 人間の幸せについて>

 

 金(カネ)・金(カネ)・金(カネ)の気配が年々濃厚になっていく。その先に待ち受けているのはどんな社会だろう。

 こんな時代になっても貧困が生む辛さ、悲劇が世界中に少なからず存在し、時に残酷ですらある。逆に、ならば贅沢三昧の生活は幸せを生むのか。

  ・使い切れないほどのお金

  ・欲しいと思うものは何でも買える

  ・食べたければ豪華食がいつでも食べられる

こうした生活は一見幸せにつながるように思われるが、さてどうだろう。私自身もこれまでの人生で上記のような状況にある人を幾人か知っている。その人達に同じ問いを発したなら、大方金(カネ)は幸福を保証しない、幸福の要素は他のところにある、と答えるだろう。上記のような状況にありながら、生活センスが悪いとなると住生活という観点から見ると始末に負えぬ程の不幸を招く、と私の眼には映る。

 年末ジャンボ宝くじなどに当った人達のその後を追ったTV番組を見た。それによると自滅あるいは破滅生活に陥っている人達がほとんどだった。見たことも、持ったことも、使ったこともない大金を突然手にするのだから大金の使い方など身についているはずもない。あのような宝くじは人間に幸せを与えないと統計的に判っているのに、それでも年々大型化していく。何千円か何万円か当って喜んでいる分にはかわいいものだが、欲が欲を生んでバクチのようになっている人もいるだろう。しかし常に一番儲けているのは仕掛け人だろう。大きな志でもあってやるのならまだましにもなろうが、一獲千金の夢を追うのはもうそろそろよそうではないか。もし夢が実現したとしても泡銭(あぶくぜに)によっては幸せにはなれないのだから……

 それよりも、分相応の生活をして、程々の生活ができていればそれでいいし、好きで欲しいものなどは時々買えて、時には楽しみに少し贅沢な食事でもできる程度の方がずっと幸せだと私は思う。使い切れぬ程の金に恵まれるより、心のきれいな知的にも豊かなよき仲間達に恵まれている方がはるかに幸せというものではないか……ん!?考えてみればそれは私のことではないか!?あなたのことではないか!?……と、ふと思われた。