2023年10月30日月曜日

 コラム345 <ケータイ・スマホの苦痛> 


 ケータイのうっとうしさが年々増加の一途を辿(たど)っていく。不自由な身体で電話の間を、あっちに動き、こっちに動くだけで息が切れる。移動するのがやっとなのだから・・・。話すだけでも息が切れる。椅子に腰掛けていても30分が限界だ。だがそんなこと相手が知る由もない。だから平気で長話しする。

 結果、便利が苦痛になることの方が、私の場合圧倒的に多いのである。たまらない!

 山中に行けば、静寂な時間が手に入るかといえば今は大違いだ。体調が悪い時などは、たて続けに電話がかかってきたりすると、〝どうでもいいから、静かに一人にしておいてくれ!〟と叫びたい気分になる。自分がなってみないと判らないことだけに、病んだ人間の心中を汲むとはなかなかできないことだと痛感している。ちょっと昔でいえば〝電話魔〟と呼ばれておかしくないような人間が今や大勢いる。嘆(なげ)かわしいことだ。



 



2023年10月23日月曜日

 コラム344 <ガラ系ケータイ電話 ── さらにスマートフォン> 


 柄もないのになぜガラ系なの?などと思っていたら、ガラパゴスから来ているんだってね。最初は文明に取り残された・・・という意味だったのだろうが、どうしてどうして、今や生物多様性の面からもSDGsの面からも世界の最先端ではないか。


 5年前の入院生活をきっかけに、コロナ騒ぎも手伝ってケータイを持たざるを得なくなった。外部との通信手段を失ったからである。

 それでも私は、未だに掛ける、受けるしか使わないが、最近いじっている内に自然に電話帳なるものを使えるようになった。


 今山小屋に来て痛切に思うが、ケータイを持つ前の固定電話時代までは、山小屋の電話はめったに鳴ることがなかった。それが、ケータイを使うようになって5年たった現在、かかってくる電話は優に5倍は越えているだろう。それにつれて、こちらも掛ける。


 仕事が急に増えた訳でなし、掛け放題だのという制度が、こういう軽佻浮薄(けいちょうふはく)な現象を生むのだろう。


 確かに私の生活もすっかり変わった。

   ・訪問マッサージ:週2回

   ・訪問リハビリ:週2回

   ・訪問特殊施療:週1回

   ・夕方からの訪問生活介護(夕食づくり・掃除・洗濯・買物):毎日

   〇ブログ(コラム)のやり取り

   ・仕事上の電話での打合せ

   ・電話会議

その他来客も少なくない。

 上に記した事柄は、〇ひとつを除けば全て私が倒れてから──即ちケータイを持つようになってから始まった事柄である。

 これに加えて、訪ねて来る人は全員スマホを持っているから、もうそれだけで何倍も騒々しくなるのは容易に想像できるだろう。終(しま)いには〝気軽に電話するな!〟と怒鳴りたくなることさえある。


 ゆっくりトイレにも入っていられない始末だ。ハハァ、便利というのは便にも利する、という、こういうことを言うのか、とまたつまらぬことを考えたりする。

 御機嫌伺いの電話も、心配してのことであろうが、あまりに繁雑になると、体調の悪い時など特に、ありがたい、というより、逆に煩(わずら)わしい感じになり、すでに皆せわしない体内時計になっているから、一度かけて出なければ3回、4回とたて続けにかけてくる。ボタンひとつで再ダイヤルが可能だからだ。もっとゆっくり生きようや。(次回に続く)


  


2023年10月16日月曜日

 コラム343 <世話する人とされる人> 


 世話する人は勿論大変だけれど、世話をされる方も辛いよね。ありがとう、と感謝するばかりで、こちらからは何もできないんだから・・・。


 名門ジャズ喫茶BUNCA(バンカ)の元マスター 山口眞さん(通称マコちゃん)は奥さん・千代子さんが思いがけず急逝してしまって、今一人暮らしだ。元々、高血圧と躁うつ気質に苦しんでいたから、さぞや大変だろうと思う。時々電話を入れているけれど、何とか生きているようだ。


 ある日、〝他人の世話になるって、辛いねえ・・・〟とポツリと洩(も)らした。その気持ちが今の私にはよく判る。でもまあしようがない。辛いばっかりでもないのだから、人生をみすみす無駄にするようなことなく、楽しくやろうや。純粋で、娑婆の汚れに染まらなかったマコちゃんの心の中にはJAZZという宝があるんだから・・・。





2023年10月9日月曜日

 コラム342 <あの人の心は病んでいる> 


 〝あの人の心は病んでいる〟などと言います。そんな人がどんどん増えています。

 でも私には、病んでいるのはあの人ではなく、あの人のまわりだと思えます。

 まず、人々の集団が、社会が、地球規模で病んだのです。人間としての価値観が傷つき、歪(ゆが)んで安定を欠き、生物多様性だのSDGsなどと大さわぎするずっと前から、人としての価値観を見失い、とめどなく物欲の世界にのめり込んでいったのです。


 あまり小さな概念に捕らわれずによき人々とのびのびと交流していく中で、〝弱きを強きに変え〟といった努力も現実社会を生きていくには必要でしょう。

 しかし強いばかりが能ではありません。〝強きを弱きに変える〟必要がある人だって沢山います。強い人はそのことに気づきにくいのです。人間としてあるべきように、人間のあるべき真実の姿に近づいていくように、数千年前も昔から言われ続けてきた「中庸(ちゅうよう)」を心がけて偏(かたよ)らず生きていくしか、心の安定を得る道はないように思えます。


 何よりもシンプルに生きましょう。むずかしい哲学書や宗教書、思想書を手にして、むずかしそうな顔をしながら生きるよりも、シンプルな真実を手にして、シンプルな喜びと笑顔で生きていった方が幸せというものです。このシンプルさの大切さに、最近やっと気づくようになりました。「シンプルイズベスト」。一人の心に始まり、場づくりへ、まわりに平和を拡げていきましょう。







2023年10月2日月曜日

 コラム341 <当たり前なことで時を刻む> 


 起きるべき時間に起き

 眠るべき時間に眠る

 食べるべき時間に食べ

 学ぶべき時に学び

 やるべき時にやるべきことをやる

 

 掃除を怠らず

 床に就く前には、一日への感謝の念と一日の反省を心の清掃と心得て忘れないよう心掛ける。

 健康とは当たり前のことを当たり前にできること。健康でありながらそれをしないのを怠惰と云う。

 命はリズムであり、一時も休むことがない。それは自然からの我々への最大の贈り物である。


 悟りへの道を弟子に問われたある高僧・老師の返答は至ってシンプルである。


 〝朝しっかり掃除をしたか? 朝しっかり飯を食ったか?〟


 このふたことには、上記の事柄が全て含まれていたことだろう。

 但し、身体が動けば、という条件付きだ。そのことは決して当たり前なことではない。