2022年11月28日月曜日

コラム297 <コロナワクチンの副反応についての報告①> 


 私は2018年2月に、視床部という少々厄介な部分で脳出血を起こした。あれからもう5年が過ぎた。

 自主トレを含めリハビリに努めてきたつもりだが、後遺症が左半身マヒばかりでなく強烈なシビレから痛み~苦しみへと発展し、悩まされ続けてきた。このシビレとは数値化出来ないから、自覚症状によって1から5までの5段階で評価され、看護師さんから〝今日はどれ位ですか?〟としばしば尋ねられる。最初の頃は4とか4.5とかとか言っていたが、最近では7とか8と答える日が多くなった。因みに5段階の最高5は耐えられない辛さということなのか、涙を流している絵が添えられている。

 

 西洋医学、漢方、鍼灸、マッサージ、気功、波動と色々取り組んできたが、恢復(かいふく)は捗々(はかばか)しくない。リハビリのおかげでいいところまで回復し、一本杖でだいぶスムーズに歩けるようになったところに、コロナ騒ぎだ。ワクチンは国のすすめに従って、第1回目、第2回目共にファイザー社製のワクチンを接種。結果、左マヒ側の筋肉がひきつれ、硬直して、一段とマヒ状態がひどくなり、1年以上経った現在も一向に引かず、それどころか益々ひきつれがひどくなっていく。その副反応に苦しんでいる中、第3回目(モデルナ社製)を打ったものだから、注射を打って3時間後にはもう歩けなくなった。私には明らかにワクチン接種は禍した。

 1回目、2回目がそのようだったから第3回目は打たないと決めていたのだが、2022年3月初旬に二か月余りの冬期リハビリ入院を終えて退院する時点では埼玉県の緊急事態宣言がまだ解除されていなかったこともあって、埼玉県志木市の仕事場に帰るのであれば3回目のワクチンを打って行った方がいいのではないか、との主治医のすすめもあって、私の決心が揺らぎ、結局3回目を接種したのである。

 これが一段と強烈な副反応を示し、同じく左半身の指先まで含む腕、肩、脚、背中の筋肉が終日ひきつり、硬直して、未だそれに苦しんでいる。そんなことに気を揉(も)まず毎日の自主トレーニングに努め、治療も続けているが、後遺症が進行こそすれ、恢復は捗々しくない。



 最近になって嘘か本当か知らないが、ファイザー社の社長も家族も打っていないとか、アメリカで医師をしている私のハトコも自分は決してしない、と言っているだとか、色々情報が届くようになってきた。しかし遅きに失した感のある我々にはこれといった手立てが無い。打つも打たぬも個人の自由だから自分が打つと決めて打ったのだから致し方ない、と思うしかない。国の方針のせいになどせずに、自分が賢くなるしかないのだ。




2022年11月21日月曜日

 コラム296 <人が生きる、とは何か③> 

 一週間ぶりの〈老健〉退所(出所と言って怒られた)の日に、〝来月も一週間程お世話になる予定・・・と、ここまで言ってから、ふと、こっちの命だって来月まであると決まっている訳でなし、あくまで予定だな・・・と思われて、〝あくまで予定〟を二度繰り返した。

 〝御世話になりました・・・〟と所員達に礼を言い、続いて上記のことを言ったのである。

 彼らは冗談とばかり思ったらしく、〝いやいやいや・・・〟と笑っていたが、言ったこっちの方は、いや待てよ、冗談なんかじゃなくて、命はいつでも予定なんだ、と気付かされて、改めてキリリと礼を言った。


 山中で長い間最も親しく交流していた二人が、其れ其れ昨年の12月と今春の3月にすでに亡くなっていた。急なことであった。一人は葛飾柴又生まれで、松戸リハビリテーション病院に入院中は団子を持って毎月見舞ってくれた。もう一人は日本の歴史に詳しく、彼の話を聞くのが私の楽しみのひとつでもあった。今夏も元気に会う予定であったのに、命とは常にこのようなものである。

  


              


 

2022年11月14日月曜日

 コラム295 <人が生きる、とは何か②>


 過日〈老健〉という施設に一週間程お世話になった。先月に続いて二回目である。ここで99才になるという小平定夫さんと出会って、幾度か話す機会に恵まれた。特攻隊員であったが、出陣前に終戦を迎えたらしい。

 小平さんは言う。〝ここに居ると、特に困ることはないけれど、話し相手がいなくてねぇ・・・日本語を忘れそうになる・・・〟


 アララギ派の歌人が多く集まった八ヶ岳山麓の富士見町の出身だという。歌碑も多い。その中で伊藤左千夫(1864~1913)の歌を、確か上諏訪出身であったと思うが同じく歌人の島木赤彦(1876~1926)の筆により、石碑に刻まれた歌について熱く語るのだった。余程胸に沁(し)みた歌だったようで、すっかり諳(そら)んじておられた。詳しくない私は、その歌を書いて戴いた。


  寂志左乃(さびしさの)

  極尓堪写天地丹(きわみにうつるあめつちに)

  寄寸留命乎(よするいのちを)

  都久都九止(つくづくと)

  思布(おもふ)


 万葉仮名で、しっかりとした字であった。(振り仮名は小平さんに確認しながら私が書いたものだから、多少違っているかもしれない。)そしてこう呟(つぶや)いた。〝伊藤左千夫晩年の作だとしてもまだ50才にもならない頃に詠んだ歌ですよ。今の40代でこんな歌が詠めますかねえ・・・。〟

 

 
 人が生きるとは学び続けること、それが直接成長に結びつかなくとも、これ以上先へ行くのはもう無理だ、というところまで歩み続けること。身体だけでなく、心においても・・・。

 ベッドに腰掛けながら、一人でしばしば本を読んでいたり、忘れかけた漢字を、いつも持ち歩いているポケットノートにカタカナで書き記しておいて、部屋に戻っては調べたりしている小平さんを見ていて、そう思った。語り、心動く時の小平さんの表情は輝いた。

 これが人間にしか為し得ない〝人が生きるということ〟なのではないか・・・そんな風に思うようになった。



2022年11月7日月曜日

 コラム294 <人が生きる、とは何か①> 


 トルストイの民話集『人はなんで生きるか』(岩波文庫)を読んだ。1932年9月25日の発行以来2021年10月25日付で104刷を重ねているから、多くの人に読まれているのだろう。〝人はなんで生きるか〟の前に〝人が生きるとは何か〟との問いが心の中に生まれた。

 これまでそんなテーマでさまざまな本を読んできた。さまざまな場所で、さまざまな人に出会い、かつ現在脳出血の後遺症と向き合わざるを得なくなって、改めて考えさせられているのである。

   〝人が生きるって、どういうこと?〟