2020年11月16日月曜日

 

コラム191 <仏画師 安達原玄さんの想い出② —— 一期一会の茶>

  いつ頃からそのようにし始めたか、記憶がはっきりしないが、伺う時には必ず、抹茶を点てられるように最低限の茶道具を持参した。その道具で点てた抹茶をこよなく愛された。動きの危うくなった両手で茶碗を懐(いだ)くようにして、点ったばかりの緑色の茶をじーっと見つめて、〝美しいわねえ……〟とつぶやいたその目には涙が滲んでいた。〝あと何回戴けるかしら……〟と一人ごとのようにつぶやくこともしばしばで、涙を滲ませながらの一服であった。その姿を見ていて、昔はともかく一期一会の心の茶とはこういうことをいうのかと、その度に思わせられた。習い事の点前の順序など、どうでもよかった。〝私の命はあと少しなのだから一番いい茶碗で戴かせて……私ってわがままねえ……〟などとおっしゃるから、所有している中で私がいいと思っている茶碗で極力点てた。その中でも特に小森松庵の大振りの黒楽茶碗を好まれた。この茶碗は縁あって私の茶道の師匠 森田宗文氏から譲り受けたものであった。たまたま小森松庵作の茶杓を私が持っていたのがその茶碗との縁であった。森田先生が同氏の茶碗を所持しているというので、〝一度稽古で二つを合わせてみましょうか〟とおっしゃり、稽古のあと森田先生が〝この茶碗はどうも高橋さんの元へ行きたがっているように思われて仕方がない……〟とおっしゃり、実は私も同様に感じていたので、私の元にくることになった茶碗であった。晩秋山を下りて、帰塾する途中、入院中だった韮崎の病室で最後に点てたのもこの茶碗でであった。もうほんの数滴、口につける程度であったが、それが最後の別れの茶となった。

玄さんの方が精神的にはるかに高みにあったのに私との相性もよかったのだろう。
 〝先生(おこがましくも私のこと)と話していると楽しいわあ〟とおっしゃって下さった。当然まじめな話をすることも多かったが、私の話など、
 〝昨夜 満月があまりに綺麗だったから月まで泳いで行ってきた……〟というようなことをおっしゃるものだから、
 〝泳いで行く時にはクロールですか、それとも平泳ぎですか?バタフライだけはやめた方がいいですよ、あれは腰をいためますから……〟などと馬鹿馬鹿しい話での雑談も多かった。二人で大笑いして、そんなことがかえってよかったのだろう。
 今思うと、病室でベッドの背を少し起こしながらのあの最後の数滴の茶は真剣な一期一会の茶であった。