コラム426 <やるべきことを・・・>
他人に言われずとも自らやる者、これを上という。
他人に言われて、はじめてやる者、これを中といい
言われてもやらぬ者、これを下という。
言われても言われてもやらぬ者は、さらにそれ以下、下の下という。
(「論語」に似たような文があったような気がする)
指示待ち人間が増えた。身につかぬ者の急増。
コラム425 <二月の夢とスキー部と>
深々(しんしん)と降りしきる雪の夜、入院先の病室のベッドの中で夢を見た。数十センチは積もったであろうスキー場で、深い新雪の中を雪しぶきを浴びながら爽快に、階段を右に左に飛び降りるかのような感覚で(これが深雪を滑る時のコツなのである)滑り降りてゆく。
〝何だ、予想以上に滑れるじゃないか!〟
そんな気分で、朝目が醒めた。だが私の体は依然左半身マヒのままだった。
元々、住まい塾にはスキー部があって、毎年所を変えてあちこちに行った。北海道のニセコ、新潟の妙高高原、長野の志賀高原、奥志賀高原、野沢温泉、戸隠、群馬の万座温泉、山形蔵王、等々、他にもいくつかある。
参加者は東京・大阪本部の設計スタッフ、賛助会メンバー、つくり手仲間、住まい塾で家をつくったOBなど15人程が参加していたが、程なく設計スタッフの大半は脱落し(私がイジメ過ぎたからだというが、体育会系の私はただかわいがっただけなのだ)その他のメンバーはほぼ毎年続いた。振り返ってみれば年々温泉場のスキー場が多くなった気がする。その理由は私にはよく判らない。
私は秋田県湯沢市に生まれ育ったから、特に山形蔵王には馴染みが深かったが、昔よりはるかに快適なスキー場になっていた。さすがに伝統あるスキー場だけに、それに奥羽山脈系だから傾斜も程々でゆったりしていて、おまけに地酒がうまい。ここはまちがいなくおすすめのスキー場だ。スキー部のおかげで沢山の楽しい想い出が残った。
現在のスキー部長は菅谷輝男君、私は顧問ということになっている。
コラム424 <お金が無くとも豊かに暮らせる方法>
それは生活感覚を磨くことだ。そこから生まれる生活も豊かになるだろうし、生活感覚を磨くプロセスそのものを楽しむことさえできる。
〝一輪の花の命
一枝の花の真実(まこと)〟
私はこの言葉が好きだ。京都のある寺の御住職の言葉である。
なかなか解決困難な社会の貧困・苦しみもあるが、そうした例外を除いては大方上記のことは可能だろう。
金・金・金 ─── 金だけが生活を豊かにするなどと盲想するなかれ、金が山ほどあっても、生涯使いきれぬ程ため込んでも、生活が貧しい人もいる。貧しい人はどこまで行っても貧しいものだ。人間の貧しさは金では解決しない。
最近の日本を見ていて、特にこのことを思う。日本ばかりでなく経済的に発展した国と民族に共通して云えることだ。
小学校から株式やらなにやら投資のやり方を教えるなど、愚かな国家方針の尻馬に乗ってはならない。国は国民を金稼ぎ(即ち多額納税者)のロボットとでも思っているのだろうか⁉荒(すさ)み始めたこの国の、人間の問題をどうしようというのだろう。人間に与えられた生涯の第一義はどこにあると考えているのだろうか?
コラム422 <馬場邦夫は不死身です!その②>
馬場さんは元々ヘアデザイナーであったらしいが、その面での付き合いは勿論無かったが、恢復後は何事もなかったように生活を続けているのは大したものだ。奥さんの明美さんの話では〝あの人はこれまでずっと見てきて、自分の現状を受け入れて、苦しい、苦しい、と言ったり、これから先に不安を抱くというようなことのない性格のようね〟との評価だ。人間だから内心そんなことばかりでもないだろうが、それだけ人間がしなやかに出来ているということなのだろう。「和顔施」という言葉を想い浮かべた。彼はいつもにこにこしている。この話を私の連れ合いに話したら、〝あなたも見習いなさい!〟と逆に、カウンターパンチを食らった。
それにしても半身マヒと視床痛に苦しみはじめ、新型コロナワクチンの副作用に加えて、昨年8月の最先端治療Ⓐの後遺症、今年2月の最先端治療Ⓑの後遺症に計7年間も終日苦しみ続けてくると、さすがにバテ気味だ。
その時に思うのが馬場さんの上記の言葉である。〝苦しい、苦しいとばかり言っていてもまわりの人も自分も幸せにしないわよ!〟これも連れ合いの言葉である。ごもっともである。以来〝調子はどうですか?〟と人に聞かれる度に馬場さんにあやかって
〝高橋修一は不死身です!〟
正しくは〝高橋修一は死ぬまで不死身です!〟かな・・・当り前じゃないか!
と言うことにしている(時々・・・)。
考えてみれば私の住んでいる八ヶ岳は美濃戸高原といい富士見高原に山連なりに隣接している。それを「不死身高原」のとなりに住んでいるのだ、と思うようにして気合いを入れている。世話になっている沢山の人々への感謝の祈りと共に・・・。充電池の電気が残り少ないので、今日はこの辺で・・・。
コラム421 <馬場邦男は不死身です!その①>
馬場さんとは八ヶ岳の別荘仲間である。何をやっても様になり、カッコよかった。バンジョウを弾き、トヨタの黄色のランドクルーザーに乗り、オートバイを乗り廻し、黒いドーベルマンのような犬と共に散歩して歩く姿も様になっていた。
その馬場さんがオートバイでカーブにさしかかって、左側にバンク(傾けてヒザを広げる)したその時、対向車のダンプが突然現れて接触し、左ヒザの骨を砕いた。粉砕骨折だった。(幸いにもヒザそのものをはずれて少し下部だったらしい。)その勢いで飛ばされたのだろう。ヘルメットは割れ、脳挫傷にまで及んでいたと云う。
その話を聞いた時、再起不能と思われたが、諏訪の日赤病院で月に4度の手術を受け、5か月間の入院、続いて回復期半年間の車椅子を使いながらのリハビリ、その間もその後も自主トレに努めたに違いない。そうした経過を経て見事、退院してきた時に届いたのが上記一行文のカードであった。このように何をやってもスマートだった。