コラム200 <便利は忙しさを増幅するという原理>
2021年1月18日月曜日
2021年1月11日月曜日
コラム199 <この小さな島国に原発54基?———その② >
むずかしいことを多く知って中途半端な専門家まがい、知識人まがい、もの知りまがいになって、結局何も行動しないよりは、基本的なことを知って何か行動した方が意味がある———これは私の若い頃からの考え方だ。コラム198の二冊に続いて読んだのが、原発に関連した岩波ブックレット6冊である。
② 取り返しのつかないものを取り返すために 〃 814
③ 福島原発震災のまち 〃 816
④ ドイツは脱原発を選んだ 〃 818
⑤ 原発への非服従 〃 822
⑥ さようなら原発 〃 824
福島第一原発の問題がまだ解決不能状態のまま、廃液の行き場をも失い、水で薄めて海に流すしかないといった状態にまで追いつめられているのに、前首相自らが出向いて原発を海外に輸出しようとしているなどは、単なる経済のためなのか、それ以前に人間としてあまりに節操を欠いた姿勢に思えるが、その魂胆はいったいどこにあるのか。トラブル続きの核燃料サイクル、それでも六ケ所村に長きに亘って厖大(ぼうだい)な金をつぎ込み続けて核廃棄物再処理施設をどうしても作ろうとしている真の目的は何なのか?サイクルしたところで、煙のようにどこかに消えて無くなる訳ではないから、そのあとにまた残る第二次核廃棄物はどうするつもりなのか、何か不測の事態でも起きたら、日本が亡びるだけならまだいいが、地球規模で亡びる可能性すらある。六ケ所村周辺の住民達は大型工業開発の名の元に、何せ寒村のこと故安く土地を買いたたかれ手離したが、実は今日にしてみれば核燃料廃棄物処理工場建設のためであった。バカげたことに当初あの地帯に東北電力、東京電力の手で10基もの原発が予定されていたという。何故そんな計画が立てられたものか、勿論国もかかわりを持っている。聞いてみたいことが山程ある。少なくとも国家の歩む方向を決定づけてゆく国会議員と名のつく者達にとって、これ位の基礎的歴史の事実に目を通し、これまでいかなることが行われてきたかを知っておくのは最低限の義務であり、責務であると思う。
日本の国策には、この国をどのような国にしていきたいかという大きな夢や展望がない。おめかしして、桜でも梅でも見たい者は観るがいいが、邪念まじりで観られるよりも無心に愛でられる方が花の心はどれ程喜ぶかしれない。原発の話に話を戻せば、中曽根さん、元々あなたが火をつけたことなのだから、一応の結末を見るまでは、まだ死んではいられませんよ。
2021年1月4日月曜日
コラム198 <この小さな島国に原発54基?———その① >
新年であるから、めでたい話でもしたいところだが到底そんな気分にはなれない。地球も人類も滅亡に向かっているのではないかとさえ思われるからである。新型コロナウィルスのせいばかりではない。原発問題をはじめ人類の生きる方向に対する不安である。
この小さな島国日本に原発が54基あるという。現在稼働しているのが何基あるのか知らないけれど、また54基中何基稼働してのことであるか知らないけれど、原発の全発電量にしめる割合は約30%という。私は知って何もしないのは性分に合わないから、山中生活で〝この電力消費を30%減らしてやろうじゃないか!〟と思い立って実践したことがある。使いたい放題に電気を使って原発反対でもないだろうと思ったからである。
その時も、かしこい(時々かしこくないものもいるけれど)日本人なら〝原発を不要のものとするために電力消費を30%減らそうじゃないか!〟と国が強いリーダーシップを発揮したら十分可能なことだと思った。
私は今、車でスーパーに買物に出かけても十分歩けないから買物の方は連れ合いに頼んで私は玄関脇の椅子に腰かけて入ってくる客達をじっと見ている時がある。今回の新型コロナウィルスで、一人たりともマスクをしていない客はいないし、入口ではアルコール消毒を忘れない。この徹底ぶりを感心して眺めていた。信州人だからこんなに律儀なのかと感心に思っていたら、秋田の姉は〝秋田だってそうだってば〟と言う。これなら原発廃止のために、30%の電力削減を!と国策として具体的にやろうとしたら、確実にできると改めて確信した。
なぜ国はやろうとしないのか。〝そんな簡単な話じゃないんだよ。闇の世界に張っている根が深いんだよ〟などと判ったようなことを言う者も多いけれど、大して判っていないで判ったような顔をしている人間が多いのが一番いけない。行動を生まないからである。
この半年、山中で読んだ本は以前からぜひ読んでおかなければならないと思っていた下記の二冊である。
『六ケ所村の記録(上)、(下)核燃料サイクル基地の素顔』:鎌田慧著(岩波現代文庫)
私は行動を共にした訳でもないし、その場に住んで実体験をした訳でもないから、内容を解説したりできる立場にはないが、表紙の帯だけはここに記しておこう。
(上)巨大開発のために土地が収奪される中で抗い続ける多くの人びとがいた。やがて核廃棄物再処理工場が村に———。寒村の百年を描く渾身の書下ろし大作
(下)使用済み核燃料再処理工場建設は何の為か?原子力開発の拠点とされた村の歴史とその人々の肉声を40年間聞き取った労作
上記の二冊を私は歯ぎしりしながら読んだ。そして当時私が同じ地域に住む村民、漁民だとしたらどうしただろうかとしきりに考えさせられた。歯ぎしりし過ぎたおかげで奥歯の親知らずを二本抜く羽目になった。
上記の本を読んだ者は巨大開発だの国策だのというものは、いかに多くの村民や町民達をあざむきながら進められるものであるかを思い知らされるだろう。