2016年8月29日月曜日


コラム 52  小さな命 その①  

外で茶を飲んでいると、
小さな虫が浮いて、死んだ。
小さな命がひとつ消えた。 

窓を開けて朝、風呂に入った。
と、虫が湯面に浮いた。そっとすくい上げたが、もう動かなかった。
またひとつの命が消えた。 

 
ああ、もしも我らがこのような虫であったなら・・・・・。
巨大な生き物が我ら人間をわけもなく死なせ、何事もなかったかのように平然としているならば・・・・・。

2016年8月22日月曜日


コラム 51  風の知らせ  


もういいかい、ま~だだよ 

そろそろ咲いていいよ、と
風がつぼみを揺らします。 

サギ草の咲いていいよと風に揺れ


 

2016年8月15日月曜日


コラム 50  仮託  

神は自然の現象に仮託してさまざまな真理を我々に示すと言われる。
それを発見するかどうかはこちらの問題なのだが、多くはそれを人間の勝手なこじつけだと考える。
偉大なものを自然から学ばずして、何から学ぼうというのだろうか。
 
 

2016年8月8日月曜日


コラム 49 <目を瞑(つむ)ると> 

目を瞑ると
   瀬音が聞こえる 

耳を澄ませば
   風が聞こえる 

  いつも聞こえている
        はずなのに・・・・・ 

心を清ませば
   大事なものが見えてくる

2016年8月1日月曜日

コラム 48 <ブロイラーと人間> 

暗くなったら目が見えなくなるのだから、人間はどう見ても夜行性動物ではない。だから野鳥と共に起き野鳥と共に眠るのが、人間にとって最も自然な生活の形なのである。 

 
野鳥と共に、とはいささか早過ぎる感もないではないが、野鳥が時代と共に夜ふかしをし、朝ねぼうするようになったなどという話は聞いたことがない。野鳥達は自然から与えられた摂理をいまだに保っている。
人間に強いられてそれに違う生活をしているのが、ブロイラーの鶏達である。彼らは太陽の巡りと違うサイクルを人工照明によって与えられ、速成飼育されている。人間とはおそろしいことを考えるものだ。 

だが待てよ・・・・・太陽が沈んでも眠らず、登っても起きずにいる人間は、このブロイラー鶏と似ているのではないか・・・・・早朝野鳥達の盛んな囀りを聴きながら、突然そう思った。我々はいつの間にか人工環境の中に生き、年々その度合を深めている。不快な胸さわぎにおそわれた。