2016年2月29日月曜日


コラム 26 <滑落事故その①> ――山道はリュージュコースとなりにけり―― 

 ここ数日気温が緩んで雨となり、夜にはぐんと冷え込んでこれを繰り返し、山道は登るも下りるも危険な状態となった。八ヶ岳は気温が低く、それゆえさらりとした粉雪の降り積る所であったが、年々こんな状態になることが多くなった。
 
 
 
 冬山生活には四輪駆動車が必需であるが、これは登る分にはかなりの性能を発揮するが下りが危ない。チェーンさえ効かぬ状態になるのだから、いかに高性能スタッドレスでも一旦滑り始めたら止まらない。しかも車体が重い分だけ勢いがつく。 

 昨冬の山道はこれまでになくひどくなり、完全にリュージュコースのような状態になった。アイゼンも簡易なものでは用を足さない。私と冬山生活を共にしてきた高性能車レンジローバー(ローギヤーの下に、さらに四段ギヤーがある)もさすがにこのアイスバーンには勝てず、滑落事故を起こしてしまった。
 30年近い冬山生活で初めてのことであった。山側に突っ込んだからよかったようなものの、谷側に落ちたら大変なことだった。JAF4WD救援車がチェーンを巻いて登ってきてくれた。しかし、二次災害の恐れありとのことで接近できず、自力脱出を試みることになった。JAF隊員の動きはさすがであった。そのおかげでやっと脱出できたが、それでも丸二日を要する脱出劇であった。 

 今冬はその経験が生きて道路状態を早目早目に察知して対策を立てる知恵が生まれた。
  第一に、距離にして200メートル程下ったところの窪地に車を駐めておくこと
  第二に、凍って困るもの以外の荷は積める時に積んで、いつでも下山出来るように備
えておくこと
  第三に、万一に備えて、毛布、手袋、使い捨てカイロ等の防寒具とアイゼンを車に常備しておくこと
 ここまでしておけば、ひとまず安心だ。だが、それでも冬の帰宅時には積荷が多いから一時的にでも車は小屋まで接近できた方がいい。さて、この方策をどうするか・・・・・。 

昨年は滑り止めに縁の下から土を掘り起こし、大きな袋につめて要所要所に散撒いたのだが、これがなかなか骨の折れる重労働であった。土そのものが重いし、運ぶ距離も長い。それに幾度も幾度も運ばなければならない。
毎年こんなことをやっている訳にはいかないと思った。まわりは全面凍土となって掘り起せる場所は限られるから、毎年こんなことをしていては縁の下の土が無くなってしまう。しかもそのあと雪や雨にでもなれば効果は半日と持たなかった。これは苦労の割にいい策ではなかった。                              (続く)

2016年2月22日月曜日


コラム 25 <山中三句>  

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    コロモ
歯に衣
  着せぬ世間は
    生き難し
  着せるすべなき
    汝が身思えば 

 ( 歯が一本もない棟梁に出会って・・・・・

 

一歩づつ
  捨てに捨てたり
    阿呆の道 


小さな枯葉が
  冷たい風に
    ふるえてる  

2016年2月15日月曜日


コラム 24 <私の山小屋>  

 私の山小屋は北斜面に建っている。南側に主たる居室の窓をもっていくのが一般的であるが、私のそれは北側についている。たまにとはいえ、見上げる道路に人が通り、車も通るというのでは落ち着かぬことだと思ったのである。
 それに北側には美しい渓流が音を立てて流れている。その瀬音もまた安らぎのひとつだったからである。この敷地を選んだ時点で私は陽光よりも渓流の瀬音と室内の落ちつきを採ったことになる。


 北側の窓から見る景色というものは奥行きさえあれば逆光に見る南側の眺めよりかえって美しいものだ。暗めの室内空間に穿たれた横長の窓。その窓に切り取られたかのような四季折々の眺望は、一幅の絵そのものだ。時々樹間を野鳥が飛び交う。 
 晴れた日には南側の小さなデッキに椅子を出して、陽を浴びながら本を読む。
冬のある日、冷えた冬空はよく晴れて青一色に染まった。外に溢れてくるフォーレの「レクイエム」を聴きながら、一冊の本を読んだ。マルコム・マゲリッジ著の『マザーテレサ』だ。その中にこんな言葉があって、萎えた私の心を奮い立たせた。
〝神は実現させるつもりのない望みを授けたりはなさらない・・・・・あなたが神さまからいただいたすばらしい天与の才能は、神のいっそうの栄誉のためにお使いになるといい。あなたの持っているすべて、今のあなた自身のすべて、そして今後のあなた自身と、なすことのできるすべてを、そのお方、ただそのおかたのためにだけのものになるようになさい。・・・・・〟
 マザーテレサがマルコム・マゲリッジに宛てた手紙の中にあった言葉だ。
 マルコム・マゲリッジも自らの言葉でこう書いている。
 〝変化する世界のなかで変化することなく、過ぎてゆく時間のめまぐるしい気まぐれのなかで永遠に真なるもの・・・・・〟 

 もしも、この暗めの室内空間が無ければ、室外での陽光を浴びる喜びも色褪せたことであったろう。
 陽が西に傾く頃、西側の細長い窓から差し込むオレンジ色の光のなかで本を読むのは私の最も好きな時間だ。夕陽はやがて西の空をえも言われぬ天然色に染めるが、うっとり眺める間もなくまたたく間に沈んでゆく。本に熱中して、気がついた時には薄明、よくもまあこんな光で字が読めたものだと一人感心したりもした。 

 自然の与える恵みとは偉大なものだ。その恵みをボロボロとこの手から零しながら生きている。
 今は狂気・狂暴の時代だ。
〝俺が金出して買った土地だ。樹を切ろうと何だろうと俺の勝手だろう!〟という人間が、標高1600メートルのこの地にもやってくる。

2016年2月8日月曜日


コラム 23 <タンクローリー車> 

 冬期マイナス20度にもなる山中では、灯油の供給路が断たれると命にかかわる。暖炉もあるにはあるが薪の準備は楽しむ程度であって、主暖房を石油に頼っているからである。
 以前はU石油にお願いしていたが、今はこの別荘地にガスを供給しているNプロパンに切り替えている。〝プロパンだけでなく、灯油もやりますから宜しく〟と言われたからだ。だがそう言った割にはなさけなかった。
 Nプロパンは、元来プロパン会社であるからボンベの搬送には慣れている。だが灯油ともなると勝手が違う。どこか提携しているガソリンスタンドが一昔前のローリー車で登ってくるのだから、凍結道路などでは特に危険が伴う。しかも私の山小屋前の坂道は、管理人もこの別荘地で一番怖いところだという程だから、そう簡単ではない。 

 頼んだ最初の頃はよかった。だが冬に入ってよほど恐ろしい目に遭ったらしく〝灯油、冬は勘弁してもらえませんか〟と言い始めた。灯油を冬勘弁してどうするのか・・・・・
 当初私は、余程のことがない限りU石油は登ってこれたのにNプロパンでは登れない、というのは慣れと訓練の問題だよと食い下がった。それでもNプロパンの担当者は〝運転手がとにかく怖い思いをしたらしい〟と言う。私は次にローリー車がやってくる時にはつきっ切りで見る約束をした。
 
現場の様子を見て、弱音の理由がよく判った。やっと登ってきたはいいが、自重で坂道をズルズル滑り落ちていくのだ。それにハンドルの制御がきかない・・・・・登り坂を下からくるのだからタンク内の灯油が後方に偏り、その自重で運転席の方が持ち上がってしまうのだった。
 考えてみればU石油のローリー車は比較的小型でタンクが四輪タイヤの直上に付いている。これに対してこんどのローリー車は旧式大型でタンクが後方にかなりつき出ている。そのためにバックで帰ろうにもブレーキを踏む度にフワンフワンと前輪タイヤが浮いて全く制御が効かなくなる。これじゃあ〝とにかく怖い思いをした〟というのも無理はない。
 結局この地域への灯油供給は新型小型ローリーに替えるか、あるいは供給をあきらめるしかない、ということになったのだが、このガソリンスタンドでは小型ローリー車にする経済的余裕はないという。 

 その後どういう話合いがなされたかは判らない。今は小型ローリー車で来てくれている。それでも万事解決とはいかない。
 昨夜のみぞれ混じりの雨で、今日は今冬一番の悪コンディションとなった。数日前に頼んで、やっと今朝来てくれたのである。勿論新型4WD,スタッドレスタイヤで・・・・・。
外にはローリーのおじさん1人しかいないはずなのに、不思議にも話し声が聞こえる・・・・・どうも携帯電話で誰かと話しているようだ。聞いていて私は思わず笑ってしまった。
 〝いゃ~、今えらいとこへ登ってきちゃってさあ・・・・・滑って、帰り降りられっかどうか・・・・・チェッ・・・・・いざとなりゃあ、どっかでチェーン巻くしかねえだわ・・・・・〟

2016年2月1日月曜日


コラム 22 <テンのこと> 

 テンとはイタチ科の夜行性動物である。夜エサを置いておくと朝には必ず無くなっている。サッと食べてさっさと立ち去るらしく、その姿を見ることがなかなか出来ない。
 最初は見つからないようにと、室内の暗いところからじっと眺めていたが一向に現れない。〝そりゃあ夜行性なんだから暗くしたって向こうからは丸見えだよ〟と言われて、そうか、と合点した。
 以来カーテンの隙間からそっとのぞいて現れるのを待つことにした。だがそれでもちょっと用を足している間にサッとやられて、残っているのは足跡だけ・・・・・。ある人にこの話をしたら〝それじゃあダメだ。姿を見たきゃあ、エサを細切れにして雪の上にバラまくんだよ〟と教えられた。なるほど、色々な知恵があるものだ。こうして人間の知恵が勝ってテンの姿を幾度か見ることになった。だが、雪ごとパクパクと喰う姿に口の中がさぞかし冷たいだろうと思われ、以来こんなつまらぬことはヤメにした。 

 さてこのテンのことだが、近くに毎夜エサを・・・・・いや失礼、食事を与えている女性がいる。その人の話によると、夜ほとんど決まった時間に来るのだという。テンだから10時ですか、と聞いたら、それ程正確なものでもないらしい。〝最近はデザートも要求するんですよ〟などと言う。〝デザートだから食後ですか?〟と冗談ながらに言ったら〝そうなんです。ちゃんとお皿に載せて・・・・・〟とケロリとしていた。私が行った時にはそんなもの出もしなかったのに、こちらがうらやむ程の接待ぶりだ。参った!・・・・・だからカウントテンというのか・・・・・などと、バカなことを思った。