2020年12月21日月曜日

 コラム196 <気力はどこから出てくるものか①>

 最近やっと〝がんばってるよ〟と他人に少し言えるようになった。がんばろうにも気力が出なければがんばれない。これまでもがんばってきたつもりだが、気力がないと〝がんばってるよ〟とは他人には言えないものだ。気力と一口に言うが、この〝気力〟とはどこからどうやって出てくるものか判らないし、医学の世界でもきっと判らないことだろうと思う。どうも脳や特定の内臓から出てくるものではなさそうだし、栄養を沢山とって出てくるのは体力の方であって気力とは言い難いし、歯を食いしばっても持続して出てくるものでもない。漢方では丹田が全身の精気の集まるところとされるが、これは少し当っているような気がする。スキーで〝リラックスして〟と言っても、丹田まわりも含めて腹筋の力を抜いてはギャップで飛ばされて安定した滑りが出来ないことを経験上知っているからである。 

 リハビリのセラピスト達は気力のない人(やる気のない人)にはどんな名トレーナーが付いてもどうにもならないと言う。確かにその通りだろうと思う。しかし、私の経験から言うと、名トレーナーとは専門技術が高いというようなこともさることながら、患者にやる気を起こさせる人のことを名トレーナーというのではないかと思うようになった。
 退院後の自主トレーニングの段階となれば、基本的にやる人は自分しかいなくなるから、気力の問題が大きくなるが、それでも一緒に添って歩いてくれる人、励ましてくれる人、誉めてくれる人の存在は大きい。

  私は入院中は主治医にも恵まれた。リハビリのセラピスト達にも恵まれた。とにかく、多く住宅の話を交えながら楽しくやらせてくれたのが何よりだった。退院後も多くの人々に恵まれた。連れ合いや二人の姉を筆頭に、別荘地内の友人達にもよく助けられた。自主トレの環境にも恵まれた。勿論、私が不在の間、住まい塾の活動を支えてくれた仲間達もよくがんばってくれた。
 こうしてみると、気力というものは自分の身体内のどこかで生み出されるものというよりも、もっと複雑にさまざまの要素がからんで生まれてくるもののように思われる。〝湧き所は胸〟という表現が一番実感に近い。