2015年9月19日土曜日


コラム 4 <蓮の花>  

 水清ければ魚すまず というが、汚れ過ぎても魚すまず・・・・・人間だっておんなじだ。
 泥沼に蓮の花というが、ブツブツ泡立って悪臭を放つようなドブ池に蓮の花は咲かない。
 その汚れ過ぎた人もドブ池もみんな人間様がつくり上げたものだ。天に唾し、地に糞をするとはこのことだ。 

 仏画師 安達原玄さんのところで咲きかけた蓮の花を戴いた。明日には咲くでしょうとのことであったが、清里から標高1600メートルのところに持って上がったので、三日経ってから美事に花を咲かせた。白くふくよかな大輪を見て、花弁にそっと手をやりながら“ハァ~、きれいだね、きみはすごいねえ・・・と思わず溜息を吐いた。
 
 見ると、もう一輪は戴いてきた時のままだ。片方だけが誉められてさびし気だ。“君も元気出して!”と言いかけてやめた。少し気の毒に思えたからだ。花にだって色々あるんだ。
 大輪を咲かせた方は挿した時には首をうなだれていたのに美事に咲いた。一方は首をシャンと伸ばしていたのに、どういう訳かいまだ蕾を膨らます気配がない。私は柄が少し長過ぎるような気がして10センチ程切ってやった。こんなに長きゃあ水を吸い上げるのも大変だろうと妙なことを思ったのだ。
 “君、ゆっくりね。急がなくていいから、咲けそうなら咲こう・・・・・”こう語りかけたが、不思議なことに水切りの途端にうなだれ始めた。急に水を吸い上げて頭が重くなったのだろうか?
 蓮の花にはあの柄の長さが必要だったのかもしれない。人間の知恵が裏目に出た恰好だ。

2015年9月5日土曜日


コラム 3 <三人の独り言>  

 八月初旬の夕暮時、私は中央線富士見駅のホームに立った。これから塩尻経由で大阪に向かうためだ。夏の落日はゆったりとしていて、西の空は都会では見ることが出来ない程美しい色に染まっていた。山から降りてくる風が心地いい。 

 若い娘が一人ホームにしゃがんで高らかに独り言を言っている。ケータイだ。
     “ヤベェよ、それは!・・・・・”
見ると開きかげんの股の間にペットボトルをはさんでいる。
 とまた、一人程近いところで独り言が始まった。30才にもなるだろう会社員風の男だ。あと一時間半程で着くから、またあとでメールする・・・・・などと言っている。ケータイの独り言はまわりが眼中に入らなくなるところが問題だ。そしてまた一人、中年の男だ。・・・・・ケータイ電話の合唱だ。暮れなずむパステル色の空は私の眼中から消えた。 

 沈み行く夕陽でもじっと眺めていればいいのに・・・・・ひんやりとした風が頬をかすめて吹き抜けてゆく。
 恵みがまわりに満ちているというのに、いまこの人達にとってはケータイの方が恵みなのだろう。
 汽車がやってきた。三人共じゃあね、と電話を切って乗り込んだのだが、ケータイから目が離れない。メールでも見ているのか・・・・・
 私は車窓からしだいにあかね色に染まり始めた西の山並をじっと眺めていた。