2020年2月17日月曜日


コラム152 <心の弱ってる人達へ>

 子馬の如く
   
   ヒザが折れても 立ち上がろ

       人間だもの 心折れても 立ち上がろ



2020年2月10日月曜日


コラム151 <漢字を大切にしよう>

 誰々さんは私の人生のカガミだ、などという時のカガミは「鑑」である。それを最近「鏡」と書いて手紙をくれた人がいた。何となく気分的には判るが、自分の姿を他人に写してどうしようというのだろう。比較してみてどうなるというものでもない。
 私は改めて辞書を引いてみたが、やはり手本、模範、いましめの意ならば「鑑」であって、「鏡」ではない。
それにしても最近の日本人は本当に漢字が読めなくなったし、書けなくなった。パソコンやスマートフォンの影響が大きいのだろう。


20年程前のことだったろうか。書家の古田悠々子さんや造形家の松岡信夫さん以下、78人でマイクロバスをチャーターして韓国の古い地方集落や仏寺、博物館巡りをしたことがあった。
旅の最後の日の夜、ソウルで食事した時のことが忘れられない。
町を歩いていたら、80才と思しき老人に店の前で呼び止められた。
 〝アナタガタニホンジンデスカ?〟 そして〝ドウゾ、ドウゾ〟と二階に通された。
その時の会話が忘れられないのである。我々のテーブルの脇にずっと座って
 〝アナタガタ日本人デ一番尊敬シテイル人ダレデスカ?〟
 〝……………〟 誰も答えられない。
 〝ジャア コノ百年間デモイイ。一番尊敬シテイル人誰デスカ?〟
 〝……………〟 誰も答えられない。
最後にはこの老人が強い調子で怒り出した。
 〝アナタガタ、日本人ノコト、モットベンキョウシナキャダメ‼
 日本人ニハエライ人タクサンイル!
 『死線を超えて』を書いた賀川豊彦の名も挙げたし、内村鑑三の全集を講談社から取り寄せて苦労して読んだなどというところを聞くとクリスチャンだったかもしれない。その後、話は日本語のことに及んだ。韓国はハングル文字(私にはよく判らないが、彼に言わせると日本語がカタカナ文字だけになったようなものらしい)にして文章表現の巾も深さも失ったこと、その点、日本語はひらがなあり、漢字あり、カタカナありですばらしいよ!〝ニホン語ヲモット大事ニシナキャダメ!〟
 これを聞いていた近くのテーブルの30代と思しきスーツ姿の会社員風の人達が日本で何年か働いたことがあるらしく〝ニホンハソンナニイイトコバカリジャナイヨ……〟と日本批判を始めた。この老人は即座に
 〝アナタガタ、日本ノコトヨクワカッテナイ‼〟
と大声で言い返したのである。
 あの夜のことは生涯忘れないだろう。
 日本人であることの自覚も深めなければならないこと、そして日本語というものをもっと大切に考えなければならないことも身にしみた夜であった。
漢字に興味を持つと、その語意については勿論のこと、字の成り立ちまで興味が拡がってなかなかおもしろい。
 読めないから、書けないからひらがな……ではなく、読めなければ調べればいい、書けなければ調べればいいではないか。
 このままの傾向をそのままにしては、漢字の読めない、書けない、知らない日本人にどんどん接近していくに違いない。

2020年2月3日月曜日


コラム150 <いい言葉を拾う>

先日、TV

〝笑顔は副作用のない薬〟

という言葉を拾った。
いい言葉だ。
 身体をいためたり、不自由になったりすれば、どうしても思いが重く落ち込んで、場合によっては将来への希望を失って、心が折れそうになる。表情が暗くなり、笑顔が失われるのも無理はない。
上記の言葉は、今はパラリンピックのカヌー選手として活躍している娘が、かつて大怪我をしてヒザから下を切断せざるを得なくなった時に贈った、母親の言葉だという。それは彼女が立ち直るきっかけとなったという。

ひとつの言葉が一人の人生を救う。
右腕を切断したヴァイオリニストも知っている。私が入院している間にも右ヒザから下を切断した30代と思しき青年がいた。テーブルこそ違ったが毎食時すれ違う度に我々はあいさつを交わした。
〝オハヨウ!〟
〝辛いけど、今日も元気でがんばろうね!〟
〝オヤスミナサイ!〟
 彼は、苦しみと将来への不安の中にあるのがありありと判ったが、それでも松葉杖をつきながら元気な声であいさつを返してくれた。少しの笑みを浮かべながら……。
 えらいと思った。彼の心の中が察せられて、実にえらいと思った。