2020年6月15日月曜日


コラム169 <土釜>

 まだ土釜がそんなに流行っていなかった頃、信州松本市内のある店で土釜を買った。中町通りをぶらぶら歩いていて、ふと立ち寄った陶器店主にすすめられて求めたものだった。土釜にしては珍しく、素焼きではなく厚く黒釉がかかっていて、注文が多くて届くまでに三カ月ほどはかかるという。土釜にしては値段も安くはなかった。数か月後、届いた釜には達筆な筆字で店主の思い入れが巻紙状の手紙が添えられていて、最後に〝ではどうぞ、美味しいオカマライフを!〟と書かれてあった。そこに店主、小林仁さんの人柄が表れていた。この店の名は『陶片木』——店の名前からして、もうすでに店主の性格を表していた。

 楽に慣れてしまっていた私は、それが届いてからもしばらくは電気炊飯器を使っていた。土釜の方がたしかにうまいと判っていたが、油断すると黒焦げにしたりして、付きっ切りの面倒が先に立って、やはり日頃はスイッチポンの電気炊飯器だったのである。
 やはり楽なものが脇にあっては、せっかくの土釜も生きない、と思っていた時に、ちょうど別荘地の管理人が自分の電気釜が故障したか何かで欲しいといってくれたので電気の方は偶然無くなった。キッチンタイマーを使うようになってからは火加減調整のタイミングに失敗することも無くなった。何せ、標高1600メートルのところでの生活なのだから、朝炊いても夜にはコチコチになる。夜に炊いてはなおさらだ。夜の冷や飯もさびしいし、夜粥というのもいただけない。その頃、私の山小屋には電子レンジというものが無かった。
失敗を幾度かしているうちに、自然にそうなったのだが、今は夜に炊きたてを、翌朝には朝粥にして戴く——このスタイルがすっかり定着した。修行僧にでもなったような気分で、これがまたいいのである。朝粥などと今は特別のことのように言うが、事の起こりはこんなものだったのではないかと思うようになった。
 粥では力が出ないという人もいるかもしれないが、そんなに体を使って力仕事をする訳でもなく、かえってこの方が私の身体にはいいような感じだ。おかずも自然に簡素になる。一汁一菜プラス一品位がバランスのいいところというべきか。

 あれから15年、今は土釜と炊き上がりがほとんど変わらない高級炊飯器がさまざまに開発されているようだ。人間とは便利・簡便にいかにも弱いときている。技術開発の世界もそうした人間欲求のもと、ひたすら歩んできたが、その発展のうらで人間として何か大切なものを大きく損なってきたと思えてならない。そのひとつが手仕事である。

 他に楽な手段がないとなれば、慣れと工夫があるのみ——そうなると土釜で飯を炊くオカマライフなど何の面倒もなくなることを経験で知った。現在この身体では無理だが、もう少し快復したら、またオカマライフに戻ろうかな、それともスイッチポンに戻るかな?