<マンデー毎日 (ブログお休みします)>
毎週月曜日に続けてきました「── 信州八ヶ岳── 高橋修一の『山中日誌』」ですが、筆者体調不良につき、1か月ほどお休みします。
また書けるようになり次第、復活いたしますので、しばしお待ちください。
コラム419 <人間の涙>
人間の涙は、時に何よりも美しいと私は思っている。悲しみの涙だけではない。涙にも色々ある。切ない涙、同情の涙も無念の涙も、こみあげてくる感動の涙も、相手の心中を思いやっての涙も・・・。
すべての動物の中で最も残酷なのは人間だと思えることもあるが、やはり人間の心の中には最も美しいものが潜んでいる。それは涙というものだ。そう信じなければ、真には生きていけないものと思う。苦しみの中にある人の心を察するあたたかい涙。ステファン・グラッペリというジャズヴァイオリニストは、よく涙を流す人であったというが、人間と同様、演奏もあたたかかった。その源泉はあたたかい心であったろうと思う。時々もらい泣きすることもあるが、源泉は同じくあたたかい心。
そういう意味では人間の心は劣化し続けている。この問題をどうしていくかは高度に文明化した国々の最大の課題と思う。IT化の進む国々、際限なく技術革新を続ける国々、経済発展をとめどなく進めていく国々などは人間の心の問題をどのように考えているのだろう。
敗者の心中に思いを致し、勝ち誇る態度を慎む惻隠(そくいん)の情などは何と日本的な心なのだろうと思う。これが今や武芸などにおいても全く損なわれている。
地球の地下水位も水質も低下し続けているのと同じように人間の涙の水位も質も年々低下し続けているのではないか。新Vロート位では、とても間に合わない。
コラム418 < 父の想い出と後悔 ②>
私が病室に入った時には気丈な父の命ももう最後であると一見して判った。苦しそうに息を吸っても吸っても、肺が固くなっていて吸収しないのだから、苦しかったろうと思う。今思えば苦しんでいる父の手を握って〝もう十分苦しんだのだから、これ以上がんばらなくていいよ〟とでも言ってやったらさぞかし父も安らいだろうに、と思えて、これが父への大きな悔いである。最後のモルヒネを打ってからは、ローソクの火が消えるように父の命もス、ス、ス、ス、ス-ッと消えていった。
〝修ちゃん(姉達も親戚の人達も私のことを未だにこう呼ぶ)が来るまで父さん待っていたんだぁ〟と言われたその通りの最後であった。未だに写真に手を合わせる時、この時の手を握ってやれなかったことを謝っている。
コラム417 < 父の想い出と後悔 ①>
私は1947年、秋田県湯沢市に生を受けた。小学校3年の夏までその地で育った。父は明治時代に祖父が始めた写真館を本家の長男である伯父(父の兄)と二人で引き継いだが、伯父は議員をしていたから、実質的には父が中心であったようだ。
休みの日には町内の子ども達共々、山に絵を描きに連れていってくれた。詳しい記憶は薄れているが、湯沢市の七夕には毎年、大きな絵灯篭(とうろう)を写場で描いていた姿を記憶しているから絵は上手だったのだろう。先祖には画家もいるから、その血を引いていたのだろう。
そんなことより、体格は大きい方ではなかったが腕っ節は強かった。親しい来客があれば、よく腕相撲をしたがった。たしかに私が高校2年の国体やインターハイに出ていた頃でも適わなかった。何でくらったか覚えていないがその時のゲンコツがごつかった。その感触は今でも何となく覚えている。
私は柔道もやっていたからさすがに体力が私の方が勝るようになって、第二次反抗期の時、取っ組み合いとなって部屋の隅まで投げ飛ばした時〝あぁ、やってはいけないことをしてしまったな・・・〟と思った。その時が私の反抗期の終焉(しゅうえん)であった。この父も私が住まい塾をスタートして第一棟目の完成見学会の日に危篤に陥り、急ぎ秋田の病院に着いた時にはもう最後の息をしていた。まわりの人達には〝あんたが着くまで待ってたんだぁ・・・〟と言われたのを記憶している。
病名は『肺繊維症』:息を吸っても吸っても酸素が吸収されない病だった。〝炭鉱にでもいたことがありますか?〟と医師に聞かれたが写真館一筋なのでそんなことは全く無かった。長いこと町内で「走ろう会」を続けてきて70才頃には世界高齢マラソンに出た程であった。〝70才を越えると急に駄目になるもんだなあ〟と言い始めたのが病の始まりだったのだろう。
亡くなって後に判明した。後に石綿公害と呼ばれるようになったあれであった。暗室には数種の液体がホーローのバットに入って並べられていたがその薬品前の壁に張られていた石綿スレート板が化学反応を起こしてブファブファだったのだ。石綿の繊維が空中に飛び散るのを暗室だったために長い間気付かずに仕事を続けてきたせいだった。酸素が吸収されないとはひどく苦しいことである、と別の医師から後で知らされた。
コラム415 <サギ>
河や田圃(たんぼ)から鷺(さぎ)が消え、群れて増えたのは、人間の詐欺(サギ)ばかり。
地球環境のバランスを崩壊させ、
世界のあちこちで残虐(ざんぎゃく)な戦争を繰り返す。
人間もそろそろ害獣指定種か。
しかし、こんな思いは止めよう。こんな世でも、変えられる希望は人間にしか無いのだから・・・。
みんな判っているのだ。どうするのがよくて、どうするのが悪いことなのか。
小さいことでも、いい選択と判ったらそれを実践すること、一人ひとつそれが実践できたら、80億個のいい営みがこの地球上に生まれる。そう信じることが人間であることの証なのだから・・・。
苦しみながら私の到着を待っていた父の手を握って〝もう十分苦しんだんだ、もうこれ以上がんばらなくていいよ〟と言ってやれなかったことが、悔いとして胸の中に残り続けているように・・・。この経験が私を人間として一歩成長させた。
コラム414 <動物の死>
40年の半分程を山中で生活を続けてきたから、野性動物の死に度々接してきた。野鳥や野性動物の死を見ていると、苦しみの声もなく静かに目を閉じて、死んでいく。死期を悟るのだろう。あんな死に方をしたいものだと思う。
人間には病院があり、医療・介護というものがあるから、色んな人の世話になり、迷惑をかけながら苦しみを長引かせて、死んでいく。
野性動物達のような死に方はなかなか出来ないが、人間も動物のひとつであれば、あんな死に方ができないはずがない。
野性動物も病で死ぬこともあるだろうが、苦しい苦しいと訴える相手もいない。野鳥は透明ガラスの窓に激突して、首の骨を折って死ぬこともあるし、夜行性の動物は車に撥(は)ねられて死ぬことも多い。害獣(がいじゅう)扱いされて鉄砲や罠(わな)にかかって、死ぬというよりも殺されることも多い。人間という動物の死は最近の世情を見ていると自然死以外には殺戮(りく)が多い。考えてみれば、大昔から同じような繰り返しだ。人類の歴史をたどれば、賢いだけに最も残酷なのは人類だと思えてくる。
コラム413 <溜(た)まって汚くなるのは金(カネ)と灰皿 ── その②>
今日も道路のあちこちに設置されている拡声器から注意勧告が流れている。
〝こちらは朝霧警察署です。市内の沢山の家庭に市役所員と名乗る男の声で、還付金がありますから・・・という電話が沢山かかってきています。そういう電話がかかってきたら、すぐに110番通報してください。〟
こうしたことが度々だ。手口が年々巧妙になっているから、判っていても引っ掛かってしまうらしい。今は高齢化社会だから余計だ。
聖書には〝神と金に同時に仕えることはできない〟とあるし、仏教では因果律を説く。因果応報・・・〝現世でこの法が適わなくても魂の長い歴史の中で、必ず辻褄(つじつま)が合うようになっている〟と説く。しかし現代社会ではそんな言葉を聞いてもどこ吹く風である。その罪を背負うのは、人類であるというのに・・・。
紀元前から教えられ続けてきた人間としての基本的な心構えを未だに実践できていないとは、人間とはあさましいものである。
しかしいつの時代にも天から遣わされた心美しき人間、美しき魂の人間は身近に必ず居るものである。ただ我々の心のアンテナが歪んでいるから発見できないだけである。あさましきは人間、心美しきは人間、というところか。
コラム412 <溜(た)まって汚くなるのは金(カネ)と灰皿 ── その①>
地球上で年間生み出される総利潤を数パーセントの人間が独占しているという。貧しい国や人々が山ほどいるというのに、何と歪(いびつ)な資本主義社会になったものか。
〝溜まって汚くなるのは、金と灰皿〟
とはよく言ったものだ。
抱え込めぬ程の膨大な利益を上げているのは多くは時勢からしてIT企業だが、今日のTVニュースでやっていた。今度はそうしたIT企業による原発そのものの囲い込みが始まっているという。直接関係はなさそうに思っていたが、どうしてどうしてIT関連の大企業は大きくなればなる程手前の原発を要する程膨大な電力を必要とするらしい。
灰皿は灰を捨てて洗えば染みついて取れない臭いや付着して取れない汚れさえ気にしなければ、一応きれいになるが、カネの方はそうはいかない。溜まっても溜まっても捨てる人がいない。もっと、もっと、もっと、もっと、と際限が無い。汚くなるのは欲の世界から抜け出せなくなるからである。昔の事業家、特に財を成した創業者の中には志を持って世のため、人のため即ち社会還元して、溜まったカネをきれいに使った人が少なからずいたが、今の日本は欲にまみれた人間だらけで、人間そのものの劣化を思わせる。
〝オレオレ詐欺(さぎ)″ などと言われるようになってから久しいが、少なくなるどころか年々組織的かつ巧妙化してして、取り締まる方も知恵が追い付いていけない。これなども人を馳してでも金を、という根性が根を張っているからである。余程の志を持たぬ限り、金の汚れは取れない。
コラム411 <病の効用>
〝人間は病気であればあるほど人間である〟
トマスマンの『魔の山』にはこのような言葉があるらしい。
病いが人間的成長に大きな役割を持つことが描かれている。親戚の高見浩夫さんが見舞い方々持って来てくれた本『臨床の知とは何か』(中村雄二郎著)の岩波新書版の中にも同様のことが書かれていた。
高見さんはこれまで自分が読んだ本の中で最も多くの回数を読んだ本だとして持って来てくれたのだが、中村雄二郎さんといえば、私が学生の頃すでに名を知られた哲学者であった。哲学者の本であるからよくもまあこういう本を幾度も読んだものだと感心しながら読み進めたが、途中「死の考察」あたりから興味深く読み進んだ。哲学者の考察であるから宗教的側面からの考察が殆どないのが残念であったが、これも分野違いというものであろうか。しかし命の問題は哲学者にとっても心理学者にとっても医学者・宗教学者にとっても共通した問題であるはずなのに、あるいは考察して結論を見い出せる類のものでないのかもしれない。永遠に一つの結論には達し得ない問題なのだろう。
この本の中に他にも印象深い言葉があった。
〝あまりに健康な人は病人に対してばかりでなく、一般に他人に対して思いやりがない、と言われる〟
トマスマンと同様のことが語られている。人間はきわめて複雑にできているが、古今東西繰り返し語られる言葉の中には真理が含まれていると云っていいように思う。上記の言葉は病に倒れる前の私自身であった。
コラム410 <平和 ②>
私の生まれ育った故郷秋田には幼い頃平和があった。18才まで秋田に住んでいたが少なくともニワトリ・牛・豚の大量殺処分のような話は聞いたことが無かった。第一そんな大量飼育そのものが無かった。平和のすべてが小さな想い出ばかりだが、夏には自転車で20~30分離れた雄物川まで泳ぎに出かけ、その頃には川には沢山の魚がいた。それを捕って帰ったり河原で焼いて食べたりしたものだ。
秋にははるか遠くに見える奥羽山脈まで歩いて茸採りに出かけたものだ。今思えばよくもあんな遠くにまで歩いて行ったものだと思う。晩秋には木枯らしの吹く中、桜の並木道に積もった落葉をわざわざサクッサクッと音を立てて踏みしめながら通学したものだ。冬になれば雪国とはいえその頃は近くにスキー場と呼ぶほどの場は無かったから山の近くまでバスで行き停留所で降りて、スキーを担いで雪深い山道を汗だくになりながらスキーのできる斜面まで歩いた。そこからは友達と横一列に並び雪を踏みしめながら滑走路づくりから始めなけらばならなかった。おかげで1シーズン4~5キロはやせたものだ。踏み固めて作った手製のジャンプ台で、遠くまで飛び過ぎてケガしたこともあった。皆幼い頃の遊びの想い出ばかりだ。高校時代にはどうしてそんな遅くまで学校に居たのか記憶がないが、帰りのバスはもう無くなり、駅までの40分程の真っ白な夜道を数人の同級生達と一緒に歩いて帰った時の光景が忘れられない。しんしんと音もなく降りしきる綿雪(わたゆき)の道。まばらにある木の電柱にはアルマイトの笠のかかった白熱電球。これがポーッ、ポーッと辺りを温かい灯りで照らしていた。あの美しさは豪雪地帯特有の美しさだろう。
平和とは所詮こんな小さなことの積み重ねなのかもしれない。
コラム409 <平和 ①>
最近の世界情勢・世相を見ていると、この地球上のどこに平和があるのかと思えてくる。戦さは大昔からあったし、ロシアや英国、スペインに限らず領土を拡大し、大帝国を夢見た国はいくらでもある。この日本だって大日本帝国を夢見た時代があったあったではないか。
昔と違っているのは一国どうしの戦いでは済まず、今は見える形であろうと見えない形であろうと多くの国が半強制的に巻き込まれていくところにある。日本は戦争をしていないような顔をしているが裏で巨額の軍事費を自国のみならず他国にも拠出しているではないか。
ならば未開の地に平和があるだろうか?廃村に近い、人の少ない寒村になら平和があるだろうか?
人間社会に限ったことではない。ニワトリもブタも牛も伝染力の強い病にかかれば、人間様は日ごろの恩をすっかり忘れて、処分という言葉を使って大量殺戮(りく)を行って平気だ。
時々考える。人間は他の動物より高位にある、と思い込んでいるからこのようなことが平気で行われるのだが、もしも人間より高位の動物が現れて、立場が逆転したらどんなことになるだろうか・・・と。
鳥インフルエンザはしばしばだし、狂牛病しかり、豚だってこれまでどれほど殺されただろう。
コラム408 <ダイヤモンド>
裏金にばかり目くじらを立てずに、我々の日常生活の裏側にも目くじらを立てる必要がある。
ダイヤモンド採掘のために自然が破壊される。その採掘のために、現地周辺の貧しい人達が雇われる。それを雇用が生まれると云って一面で喜ばれる向きもある。
そうして採掘された原石が加工され、我々の元に届く。それが女性達の(今や女性達ばかりとは云えない)指の上で、胸元で、キラキラと輝く。女性達はその輝きを喜び、経営者達は利益を手中にして喜ぶ。採掘人達は少ない賃金で、やっと生活を成り立たせる。
雨上がりに葉先に残る水滴が夕陽に輝いていたあの無数のダイヤモンドとは違う。日本の先住民族アイヌ達が見た金の滴、銀の滴とは違う。
太陽光パネルや電気自動車の充電池に使われる原材料や原子力発電に使われるウラン、その他にも沢山あるだろう。共通するのはいずれも大規模な自然破壊、環境破壊を伴うことだ。その裏にある構図は上記のダイヤモンドと同じだ。何が人類の取るべき道なのか、一面的に考えないで採掘から廃棄まで総合的に考える必要がある。イーロン・マスクなどという人は何重にマスクしても足りない。企みはウィルスと同様外からでは見えないからだ。
コラム407 <身体に異物を入れることについて>
新年早々身体の苦痛の話とはいただけないが、次の新型コロナワクチンのさらなる危険性について、ちらほら聞こえてくるようになったから書いておく。
前回の新型コロナワクチンを3回接種して、私の身体は大きなダメージを受けた。受けてからもう数年も経つが、マヒ側の左半身は筋肉の強烈な緊張・ひきつれが未だに抜けない。何度打っても平気な人も多いようだが、油断しないほうがいい。脳出血で左半身マヒの基礎疾患のある私には完全に禍(わざわい)した。人間的な担当医と名セラピスト達に恵まれ、自身も自主トレに励んだから、リハビリの効果は順調に進んでいただけに無念なことだった。私だけではなく、後遺症に苦しんでいる人は少なくない。臨床データが少ない内に接種を始めなければならなかった事情までは理解するとしても、ならば余計接種を薦めた国はその後の結果を調査し、そのデータを公表すべきなのに、その後の後遺症については知らんぷりだ。その上さらに新しいワクチンを打とうとしている。
さらに昨年9月に松本市内の病院で打ったボトックス注射も禍した。これはチャレンジであったが、結果苦しみが倍加し、接種して二ヶ月経過した現在の苦しみは耐え得る限界に近く、終日苦闘の日々が続いている。ボトックス注射は現在の最先端治療法ということになっているが、打つべき筋肉の特定にはもっと慎重さが必要であった。
私はこの二つの経験を通じて身体に異物(毒物)を入れることへの抵抗を強く感じるようになった。インフルエンザ予防の注射さえこれまで打ったことのない私の身体は、異物への対応に混乱をきたしてしまったのだ。色々な病院・薬・治療法にチャレンジしてきたが、私の場合にはいじればいじる程、ひどいことになっていく。
〝9月に打ったはボトックス
今必要なのはデトックス〟
こんな冗談ともつかぬことを言って笑い飛ばしていないと、身がもたない。