2019年12月23日月曜日


コラム144<一番のなぐさめ ①>

 人はしばしば他人を励ます。
病に伏している者、精神的に弱っている者、心に苦しみや悲しみを抱いている者等々、さまざまである。だが身体の、特に気の弱っている人には、この励ましが時に辛くなる。がんばって!、病は気からって言うでしょ!、決して諦めちゃダメよ!、絶対に治ると信じてがんばるのよ!……。
一生涯のうちで人は他人をどれだけ励ますことだろう。この励ましで勇気と元気を与えられる人も多いだろう。
ジルボルト・テイラー(ハーバード大学で脳神経科学の専門家として活躍していた彼女は37才のある日、脳卒中に襲われる。幸い一命を取りとめたが、脳の機能は著しく損傷、言語中枢や運動感覚にも大きな影響が……。以後8年に及ぶリハビリを経て復活)は著書『奇跡の脳』の中で、このように記している。
〝彼ら(見舞いに来てくれた同僚達)の親切心が本当に嬉しかった。二人(母と自分)とも動揺していたようですが、私にプラスのエネルギーを与えてくれ、そしてこう言ってくれたのです。〟
〝「君はジルなんだからきっと治るに決まっている」って。完全に回復するというこの確信はお金には換えられないものでした。〟(P.125)

こういう人がいる一方で、私もそうした経験者の一人だと思うが、リハビリ以外、大して疲れるようなことをしている訳でもないのに、すでに身体内が頑張ってしまっていて、気力と体力の芯がグッタリ疲れている者もいる。そういう人には他人からの励ましがかえって重荷にさえなる。もうすでに限界に近い程がんばっているところに〝がんばって!〟と追いうちをかけられると、いかにこちらのことを思っての言葉だとは判っていても、さらに重荷となり、苛立ちの元となったりする。言われた分、判っている分、こちらの身体が思うように動かないからである。うつ病の人にがんばって!とは言わないように言われる理由が、今回はじめて理解できたような気がした。がんばって!と言われる前に他人にはそうは見えないだけで本人の脳はすでに相当がんばってしまっているのだ。
身体の弱っている人間には前から手を引いたり、うしろから背を押したりするよりも ただただ そばで自然体で寄り添っていてくれることが、どんなにかなぐさめとなり、静かな励ましとなることだろう。こんな風に感じられるようになったのも、この病のおかげである。さまざまな場面における人への接し方はむずかしいが、他人を励ましたり、元気づけようとする時、これからの私は、以前の私とは確実に違ってくるだろうと思う。励ましよりも、時に必要なのは、はるかになぐさめだと思われるからである。それもやっぱり本心の優しさなしには滲み出ぬものであり、これもやっぱり、4つの心(コラム143)のうちの最後、「底」の問題に行きつくのだろう。