コラム397 <対立②>
約100年前、あるアイヌの少女が一冊の本を残して世を去りました。その名は知里幸恵(ちりゆきえ)、19才。本の名は『アイヌ神謡集』。文字を持たなかったアイヌの少女が一冊の本に仕立てるには大変な苦労だったでしょう。その本の始まりは次の一文で始まります。
〝その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。〟
そして『神謡集』そのもののはじまりは次の文で始まります。
〝銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに・・・〟
何と美しい言葉でしょう。
日本の歴史を振り返るだけでも争いをしないという決心の元でなら、相互いに助け合って、相入れない考えだって学び合うことによって認め合うことができます。互いの世界観を学び合うことによって成長することができます。これまで地球上に送り出された人間の命はいか程になるのでしょう。それでもうり二つの人間は存在しないのです。
この事実からしても違いに意味を見い出すことこそ、宇宙の意志に適うというものではないでしょうか?それを神の意志と呼ぼうが、自然の意志と呼ぼうが、仏の意志と呼ぼうが、違い故に対立するなど、その意志に全く叛(そむ)くことになるとは思いませんか?