2022年1月3日月曜日

 コラム250 <仕事を通じての私の念い>

  私は自分の創り出す住空間を通じて、縁ある人々に幸せを与えたいという思いで仕事をしてきた。そのためにこそ住空間は人々を豊かな気分にするものでなければならない。
 しかしこの思いはいつでも成功するとは限らない。人間の相性、求める価値観、感性においても、めざす志においても重なるものが無ければ成功しない。
 それを私は人間どうしの共感関係と呼んできたのである。
 さまざまな人間の集合体がやることだから、時に行き違いがあったり、住まい塾の仕事は職人の手技によるところ大だから、出来、不出来の問題も生じる。自然素材を使えばその時々の天候状態の影響も受ける。

  上に記したような共感関係に強いものが無ければ、生じた問題に対して皆で力を合わせてどう解決していこうか、というよりも即クレームあるいはトラブルに発展する。
 最も無念に思われる瞬間である。住宅がクレーム産業などとしばしば揶揄(やゆ)される所以(ゆえん)である。
 共感関係の深さと同時にお互いに人間としての徳性及び寛容さが求められるのである。一言でいえば、人間が試される一瞬である。

  幸せに影響を与える住空間とは、勿論万全ではないにしても、住む人に与える影響には想像以上に大きいものがる。
 共感関係なくしてものづくりは始まりもしないし、成立もしない。仕事として割り切ったり、いわんや商行為としてのみ考えたりする間柄では、早々に関係を解消した方が身のためである。これは当初より私の徹底した思いであり、死ぬまで続くであろう思いである。死んでから後のことは、判らないよ。