2025年12月15日月曜日

 コラム448 < 美しきものの力 > 



 美しい器を目にすると私の体内に気が充満してきます。写真だけでもそうなるのですから、実際に器に触れることができたら、さぞかし元気が出るに違いありません。


 <しぶや黒田陶苑>が時々送って下さる展示会目録。今回は金重有邦(かなしげゆうほう)展の案内でした。本来備前の方なのに今回は珍しく黒高麗(くろこうらい)茶碗10点と唐津土灰釉(からつどはいゆう)茶碗10点の計20点の案内でした。


 私は元々黒楽(くろらく)茶碗よりももっと硬質の黒織部茶碗の方が好きでしたから、目録前半の黒高麗茶碗に一気に魅せられました。眺めていて、長く続いている左半身マヒの苦痛が和らぎました。

 

 人の手によって作られた美しいもの、魅力的なものっていいですね。私が病に倒れていなかったら、即渋谷の<黒田陶苑>まで出掛けて行って、きっとそのひとつでも買い求めたに違いありません。法外なものならばともかく、金が無くとも、その魅力に負けて買うのです。今の時代、世代にはそういうことが殆ど無いそうですね。だから作家が育たない。同時に自分の眼も育たないのです。分割にしてくれと頼み込んで手に入れたものだって私には少なくありません。3年分割で手に入れたものさえある程です。


 〝朋(とも)、遠方より来(きた)る有り、亦(また)楽しからずや。〟


じゃないが、美しいものに出会うと心の朋と出会ったような気分になるのです。身体の苦痛が和らぐというよりも魅せられる神経の方が苦痛の神経回路に勝(まさ)ってしまうのかもしれません。






2025年12月8日月曜日

 コラム447 <ミソサザイ、夜に囀る>            


 今日は夜暗くなりかけた7時を廻ってもミソサザイがしきりに囀っています。暗くなってから鳴くことはあまりないのに何かうれしいことか、悲しいことがあったに違いありません。地味で小さくて、囀りだけは際立って美しい鳥です。私の小屋からすれば西の方で一羽、東の方で一羽がしきりに鳴いているのです。


 なかなか姿を見せない野鳥ですが、もう40年近くも聞き続けて、最近では窓辺までやってきたりするようになりましたから、もう仲よしの友達のような気分です。久しぶりだねえ!

 

 日本で一番小さい野鳥ということになっていますから、その子達が巣立ち、しげみに集まってちょんちょこ、ちょんちょこ動いている姿はそりゃあかわいいものです。小さな小鳥なのに子は5羽くらいちょこまかしているところを見ると、卵だけは5つ位生むんでしょうか。かわいいかわいいミソサザイです。






2025年12月1日月曜日

 コラム446 <前世・現世・後世> 


 こうして現世があるんだから

 地上に生まれ出る前の前世もあるでしょうよ。

 前世があるんなら、後世もあるでしょうよ。

 これらはいずれも魂のふるさとかもしれない。


 あの世に持って行けるのは心だけというが、持って来られるのもこれだけかもしれないな。






2025年11月24日月曜日

 コラム445 <字を知らなくなっていく日本人> 


 地沈祭?地鎮祭のつもりだろう。

 手紙の文頭にいきなり拝復?拝啓のつもりなのだろう。


 ワープロ・スマホのおかげで字を知らなくなった。特に多くの人が漢字を書けなくなった。

 調べればすぐ判る、ということと、知っていること、身についていることとでは訳が違う。だがこれがはっきり自覚されないから流されるまま、日本人は益々漢字を知らない、書けない日本人に向かうだろう。急須と同様、国語辞典や漢和辞典を持っている人も少なくなった。今からでも遅くはない。日本語では


 〝急がば廻れ〟という言葉があり、英語には

 〝slower is faster〟という言葉があるらしい。


 国語辞典や漢和辞典を調べるのは、楽しいぞ!





2025年11月17日月曜日

 コラム444 <日本の首相選のあと浮かんだ替え歌> 


  〝女性首相に決まったそうです〟

 

 2日に一度訪ねてくれるマッサージ師さんが教えてくれた。

 ベッドの上で

  

  〝あ、そう〟と私は応えた。


 その夜、床の中で屋根を打つドングリの音を聞きながらドングリコロコロの替え歌を考えていた。


〈第一番〉

  ドングリコロコロ丼子

  ドブにはまってさあ大変

  ドジョウが出てきてヨォヨォヨォ 

  みんな一緒に歩みましょ

〈第二番〉

  ドングリコロコロ丼子

  やっぱり派閥(はばつ)が恋しいと

  泣いてはドジョウを困らせた

 そんな訳でドジョウの口は曲がってしまったのです。バランス取って帽子までもね。

〈第三番〉

  ドングリコロコロ丼子

  先に生まれた先生に

  〝先生 おかげさまでありがとうございました!〟

  と深々とおじぎして

  だからその後はお定まり


秋田音頭に見る如く秋田県人は替え歌が上手なのです。

  ♪  ああドングリコロコロ丼子

   お茶っこ飲んでけと酒出して

   紙袋に入った酒など見たごどねぇ・・・

   シタカサッサ、ホイナ、ハァソレソレ♪

  



 



2025年11月10日月曜日



 コラム443 <私の山小屋が涼しい理由> 


 私の山小屋は標高1600メートルと高い位置にあるが、涼しいのは標高のせいだけではない。樹々がたっぷり残り、森の状態が保たれているからである。その証拠に標高がさらに高い1800メートル付近に建っている樹々の少ない家は晴れた日中などはクーラーが無ければいられない程暑くなる。

 私の山小屋は住んでから40年程経つが、真夏でも室温24度を超えた日は一日も無い。

 今は体調を崩して(視床部脳出血)、6月初旬山小屋に来て以来ず~っと22度設定で暖房はつけっ放しの上、ダウンジャケットを着ている位だ。体温を感知する神経に支障をきたしているようで、とにかく寒い。






2025年11月3日月曜日

 コラム442 <ドングリコロコロ> 


 天然スレートの屋根の上に、ドングリの実が降ってくる。


 〝コツン、コロコロ・・・コン(これはウッドデッキに落ちた音です)〟


 数日前から水ナラの木からドングリが屋根を伝って落ちてゆく。最後の〝コン〟はうまく転がれば〝ココココココ〟と聞こえたりする。まるでリス達に〝ここ、ここ、ここ〟と伝えている風でもある。


 ドングリは夜半の暗い中を落ちてゆく。

 翌朝ウッドデッキの上にはその痕跡(こんせき)が残っているが、不思議にも残っているのはほとんどがヘタばかりで、実の方はもうすっかり無い。リスが早朝から懸命に食べて、まもなくやってくる厳しい冬に備え始めているのだろう。ここには植物と動物の自然なつながりがある。





 別荘地でも樹々を伐る人が多かった頃、この別荘地では「自然保護協定」を作った。私が住民の会の会長を務めていた頃だ。

 ある区画の住民が、敷地内の樹々を皆伐し、それに抗議した道路向かいのAさんに向って

 〝私は弁護士だ!法的に何ら問題は無い!〟

と言ったという話をAさんから直接聞かされたのがきっかけだった。

 それまで一度も出たことの無かった年に一度の総会に初めて出席して私はこの話をした。

 〝自然環境は住民皆の共有財産である。しかるにそういう価値観を持たぬ人間もいて、かくかくしかじかのような事件が起きた。皆伐を規制する法文が無いというだけのことであって、そういう解釈は私に言わせれば法は法でも〝アホウ〟と言う。〟

 会場のあちこちから拍手が起こった。そして550区画、地権者約350人程もいるこの規模の別荘地でルールが何もない状態で豊かな自然環境を守れると考えるのは土台無理な話だ。色んな考えの人がいるのだから・・・。と続けた。また拍手があちこちから湧いた。

 これがきっかけで私は役員会で、欠席裁判のまま次期会長に推薦され、以来実質5期10年会長を務めた。

 自然保護協定の原案も、言い出しっぺだから、と私が作る羽目になった。忙しい日々から解放されようとここに来たはずなのに、一層忙しいことになった。


 協定というのは法的な拘束力を持たないから住民の力だけでは弱いと考え、管理会社と共同名義で発表した。以来皆伐は減り、現在ではバランスのとれた間伐を多く目にするようになった。