2025年3月31日月曜日

 コラム419 <人間の涙> 


 人間の涙は、時に何よりも美しいと私は思っている。悲しみの涙だけではない。涙にも色々ある。切ない涙、同情の涙も無念の涙も、こみあげてくる感動の涙も、相手の心中を思いやっての涙も・・・。


 すべての動物の中で最も残酷なのは人間だと思えることもあるが、やはり人間の心の中には最も美しいものが潜んでいる。それは涙というものだ。そう信じなければ、真には生きていけないものと思う。苦しみの中にある人の心を察するあたたかい涙。ステファン・グラッペリというジャズヴァイオリニストは、よく涙を流す人であったというが、人間と同様、演奏もあたたかかった。その源泉はあたたかい心であったろうと思う。時々もらい泣きすることもあるが、源泉は同じくあたたかい心。

 そういう意味では人間の心は劣化し続けている。この問題をどうしていくかは高度に文明化した国々の最大の課題と思う。IT化の進む国々、際限なく技術革新を続ける国々、経済発展をとめどなく進めていく国々などは人間の心の問題をどのように考えているのだろう。


 敗者の心中に思いを致し、勝ち誇る態度を慎む惻隠(そくいん)の情などは何と日本的な心なのだろうと思う。これが今や武芸などにおいても全く損なわれている。

 地球の地下水位も水質も低下し続けているのと同じように人間の涙の水位も質も年々低下し続けているのではないか。新Vロート位では、とても間に合わない。






2025年3月24日月曜日

 コラム418 < 父の想い出と後悔  ②> 


 私が病室に入った時には気丈な父の命ももう最後であると一見して判った。苦しそうに息を吸っても吸っても、肺が固くなっていて吸収しないのだから、苦しかったろうと思う。今思えば苦しんでいる父の手を握って〝もう十分苦しんだのだから、これ以上がんばらなくていいよ〟とでも言ってやったらさぞかし父も安らいだろうに、と思えて、これが父への大きな悔いである。最後のモルヒネを打ってからは、ローソクの火が消えるように父の命もス、ス、ス、ス、ス-ッと消えていった。

 〝修ちゃん(姉達も親戚の人達も私のことを未だにこう呼ぶ)が来るまで父さん待っていたんだぁ〟と言われたその通りの最後であった。未だに写真に手を合わせる時、この時の手を握ってやれなかったことを謝っている。




2025年3月17日月曜日

 コラム417 <  父の想い出と後悔 ①> 


 私は1947年、秋田県湯沢市に生を受けた。小学校3年の夏までその地で育った。父は明治時代に祖父が始めた写真館を本家の長男である伯父(父の兄)と二人で引き継いだが、伯父は議員をしていたから、実質的には父が中心であったようだ。

 休みの日には町内の子ども達共々、山に絵を描きに連れていってくれた。詳しい記憶は薄れているが、湯沢市の七夕には毎年、大きな絵灯篭(とうろう)を写場で描いていた姿を記憶しているから絵は上手だったのだろう。先祖には画家もいるから、その血を引いていたのだろう。


 そんなことより、体格は大きい方ではなかったが腕っ節は強かった。親しい来客があれば、よく腕相撲をしたがった。たしかに私が高校2年の国体やインターハイに出ていた頃でも適わなかった。何でくらったか覚えていないがその時のゲンコツがごつかった。その感触は今でも何となく覚えている。

 私は柔道もやっていたからさすがに体力が私の方が勝るようになって、第二次反抗期の時、取っ組み合いとなって部屋の隅まで投げ飛ばした時〝あぁ、やってはいけないことをしてしまったな・・・〟と思った。その時が私の反抗期の終焉(しゅうえん)であった。この父も私が住まい塾をスタートして第一棟目の完成見学会の日に危篤に陥り、急ぎ秋田の病院に着いた時にはもう最後の息をしていた。まわりの人達には〝あんたが着くまで待ってたんだぁ・・・〟と言われたのを記憶している。

 病名は『肺繊維症』:息を吸っても吸っても酸素が吸収されない病だった。〝炭鉱にでもいたことがありますか?〟と医師に聞かれたが写真館一筋なのでそんなことは全く無かった。長いこと町内で「走ろう会」を続けてきて70才頃には世界高齢マラソンに出た程であった。〝70才を越えると急に駄目になるもんだなあ〟と言い始めたのが病の始まりだったのだろう。

 亡くなって後に判明した。後に石綿公害と呼ばれるようになったあれであった。暗室には数種の液体がホーローのバットに入って並べられていたがその薬品前の壁に張られていた石綿スレート板が化学反応を起こしてブファブファだったのだ。石綿の繊維が空中に飛び散るのを暗室だったために長い間気付かずに仕事を続けてきたせいだった。酸素が吸収されないとはひどく苦しいことである、と別の医師から後で知らされた。






2025年3月10日月曜日

 コラム416 < 金で買えないもの > 


 それは生活感覚。

 そして、人間としての誇り。

 二つに共通するのは、日々の積み重ね。





2025年3月3日月曜日

 コラム415 <サギ> 


 河や田圃(たんぼ)から鷺(さぎ)が消え、群れて増えたのは、人間の詐欺(サギ)ばかり。


 地球環境のバランスを崩壊させ、

 世界のあちこちで残虐(ざんぎゃく)な戦争を繰り返す。


 人間もそろそろ害獣指定種か。


 しかし、こんな思いは止めよう。こんな世でも、変えられる希望は人間にしか無いのだから・・・。

 みんな判っているのだ。どうするのがよくて、どうするのが悪いことなのか。

 小さいことでも、いい選択と判ったらそれを実践すること、一人ひとつそれが実践できたら、80億個のいい営みがこの地球上に生まれる。そう信じることが人間であることの証なのだから・・・。

 苦しみながら私の到着を待っていた父の手を握って〝もう十分苦しんだんだ、もうこれ以上がんばらなくていいよ〟と言ってやれなかったことが、悔いとして胸の中に残り続けているように・・・。この経験が私を人間として一歩成長させた。







2025年2月24日月曜日

 コラム414 <動物の死> 


 40年の半分程を山中で生活を続けてきたから、野性動物の死に度々接してきた。野鳥や野性動物の死を見ていると、苦しみの声もなく静かに目を閉じて、死んでいく。死期を悟るのだろう。あんな死に方をしたいものだと思う。


 人間には病院があり、医療・介護というものがあるから、色んな人の世話になり、迷惑をかけながら苦しみを長引かせて、死んでいく。

 野性動物達のような死に方はなかなか出来ないが、人間も動物のひとつであれば、あんな死に方ができないはずがない。

 野性動物も病で死ぬこともあるだろうが、苦しい苦しいと訴える相手もいない。野鳥は透明ガラスの窓に激突して、首の骨を折って死ぬこともあるし、夜行性の動物は車に撥(は)ねられて死ぬことも多い。害獣(がいじゅう)扱いされて鉄砲や罠(わな)にかかって、死ぬというよりも殺されることも多い。人間という動物の死は最近の世情を見ていると自然死以外には殺戮(りく)が多い。考えてみれば、大昔から同じような繰り返しだ。人類の歴史をたどれば、賢いだけに最も残酷なのは人類だと思えてくる。





2025年2月17日月曜日

 コラム413 <溜(た)まって汚くなるのは金(カネ)と灰皿 ── その②> 


 今日も道路のあちこちに設置されている拡声器から注意勧告が流れている。


 〝こちらは朝霧警察署です。市内の沢山の家庭に市役所員と名乗る男の声で、還付金がありますから・・・という電話が沢山かかってきています。そういう電話がかかってきたら、すぐに110番通報してください。〟


 こうしたことが度々だ。手口が年々巧妙になっているから、判っていても引っ掛かってしまうらしい。今は高齢化社会だから余計だ。


 聖書には〝神と金に同時に仕えることはできない〟とあるし、仏教では因果律を説く。因果応報・・・〝現世でこの法が適わなくても魂の長い歴史の中で、必ず辻褄(つじつま)が合うようになっている〟と説く。しかし現代社会ではそんな言葉を聞いてもどこ吹く風である。その罪を背負うのは、人類であるというのに・・・。

 紀元前から教えられ続けてきた人間としての基本的な心構えを未だに実践できていないとは、人間とはあさましいものである。

 しかしいつの時代にも天から遣わされた心美しき人間、美しき魂の人間は身近に必ず居るものである。ただ我々の心のアンテナが歪んでいるから発見できないだけである。あさましきは人間、心美しきは人間、というところか。