2024年1月22日月曜日

 コラム357 <白井晟一の言葉③ ── ローコストでなければ建築とは言えないよ ──> 


 私が白井研究所に入った時には代表作親和銀行の第Ⅰ期と第Ⅱ期はすでに完成していた。私が所員として研究所にいたのは第Ⅲ期の「懐霄館」の頃である。

 メインの担当は先輩の柿沼守利さんであったが、私が入って数年経った頃であったから、図面の一部や佐世保本店のゴルフクラブの建物に泊まり込んで、時にはゴルフをやったりしながらしばらく手伝った時期もあった。ゴルフなど初めてであったから地面ばかりを叩き、あちこちモグラの穴のようにして、それを自分で直す常識もなかったから、頭取が私が傷つけた穴を修復して歩いている姿を見て、ああするのが当然のマナーなのだと知ったほどの為体(ていたらく)ぶりであった。


 「懐霄館」の外壁は窯場の多かった地方故に当初、廃窯やつくり替えられた窯場などから出た味わい深い大判の焼過ぎ古レンガを使うのが白井晟一の最初のイメージだった。工事担当の竹中工務店ではその線で検討したが、数が数だけにとても集められないし、仮に集められたとしても非常に高価なものになるとの結論に達して、その方針は断念された。最終的には諫早(いさはや)砂岩の野面(のづら)仕上となったのだが、どこかを車で走っていた時に車窓から見えた擁壁に〝あれはどこの石だ?〟というところから始まったらしい。調べて判ったのは長崎出島のグラバー邸にも使われている諫早の砂岩だと知って急遽(きゅうきょ)その可能性が浮上したのであった。その時の会話も忘れられない。何せ11階建ての建物であるから、工事所長の高尾さんが即言った。

  

  〝あれを11階まで積み上げろ、と言われたら死人が出ますよ!〟


白井晟一は悩むでも迷うでもなく、即言った。

  

  〝出てもかまわん‼〟〝その時は私(わし)も死ぬ!〟

  (後半の言葉はこう言ったかどうか定かではない)



 

 今なら問題になりそうな発言であるが、私には冗談半分で言っているようには思われなかった。考えてみれば西洋の歴史に遺(のこ)る石造建築などは工事中に命を落とした人は少なからずいたに違いない。そういう認識のもとに衝(つ)いて出た言葉であったろうが、鬼気迫るものがあった。分厚い野面石を地震国である日本で11階まで積み上げることなど出来ない。バラけないように個々の石を金属のダボでつなぎながら、そのダボをさらに躯体に格子状に張りめぐらされた鉄筋に引き寄せ、積み上げるとも、貼り巡らすともいえるような構法で裏込め接着モルタルを詰めながらこの難工事は完了したのである。

 途中私は石を半分の厚さにしたら荷重も減りその分コストも下がるのではないか、と思ったのだが、厚さを半分にする方がはるかに高くなることを知った。なぜなら石の場合、二枚に切断加工する加工賃の方が原石のボリュームの値をはるかに上まわることを知ったからである。石切場で分厚く素朴に野面仕上げされたままを使う──これも白井晟一にとっては、ローコスト対策のひとつであった。この上なくハイコスト建築と思われがちな白井晟一の建築は、自身が語る通り


  〝ローコストでなければ建築ではない〟


という信念に裏付けられているのである。


  〝大きく構成しろよ、大きく・・・〟


十年間のうちに幾度もこの言葉を聞いた。これも美的観点からばかりでなく、ローコスト化への意識と経験に裏付けられての言葉であったに相違ない。