2023年8月14日月曜日

 コラム334 <ケータイ・スマホの蟻地獄②>


 私の現在の山小屋生活は以前とは違い、予想以上に忙しい。

 週二回の訪問マッサージ

 週二回の訪問リハビリ

 週一回の特殊施術

 その他時々の通院、来客、電話会議、等々・・・。以前のようには出来ないが、出来る範囲で仕事もしている。毎月曜のブログ(コラム)〈──信州八ヶ岳──高橋修一の山中日誌〉も書き続けている。


 今山小屋に来て痛感しているのは上記のようなことも多忙の一因ではあるがケータイを持った後、私の電話生活がどう変わったかということだ。以前の固定電話時代に較べると、少なくとも3倍どころでない。5倍は慌(あわただ)しいことになったということだ。

 倒れるまでの5年前までの山小屋生活では電話などめったにかかってこなかった。それが今は一日どれ位掛かってくるだろう。こちらからかける回数も確実に増えた。それに加えて私にはよく判らない無用の電話やショートメールやらが飛び込んでくる。私はメールはやらない、私にとってメールは気が〝滅入る〟以外の何ものでもない、としょっちゅう言っているのにである。


 固定電話時代にはNTTコミュニケーションズの営業電話位はかかってきたが、夜の9時過ぎまでかかってくるようなことがあってその非常識ぶりを一喝して以来来なくなった。

 〝電話帳に載せていないのに、あなたはどこで私の電話番号を入手するのか?NTTの職権乱用というものではないか⁈〟

むこうは

 〝私は回ってきたリストを見ながら電話しているだけですから・・・〟

というが、こういう時の私は追及の手をゆるめない。

 〝それはどこから回ってきたのか⁈〟

むこうは

 〝・・・失礼しました〟

と言ったきり電話を切ってしまった。以来その手の電話はかかってこなくなった。

 だがケータイ・スマホの類は誰から来たのか、どんな内容の用件なのか、電話なのか、メールなのか、それとも何か他のものなのか皆目判らないものも多い。スタッフのアドバイスで、そういうものは相手にしないで放っておいて下さいというからそうしているが、特別用も無いのにかかってくること自体がうっとうしい。怒鳴ってやりたいところだが、それもできないから余計に腹が立つ。





 ケータイ・スマホは私には皆飲み込まれてゆくあの蟻地獄に見える。便利は程々にしておかないと、知らぬうちに天国行きのつもりが地獄行きの列車に乗り込んでいるのかもしれないのだ。文明の行き過ぎは人類の崩壊、文化の崩壊に繋がるのは歴史の証明するところである。