2023年6月12日月曜日

 コラム325 <白井晟一の想い出 ⑤>        ───書き取りの意味するもの───


 私が研究所に入った時には二年先輩にT君という人がいて(年令は同じだったように思う)白井研究所に入ってから三年目を迎えようとしていた。どういう判断であったのか、私はまもなく茨城キリスト教短大のチャペルを手伝わされた。私は通称「高山アトリエ」と呼ばれている木造の方で仕事をしていたが、T君は白井晟一の自宅付属のアトリエの方に居た。入った当初から小学校の時よく使ったあの大きな枡目の漢字帳に毎日毎日漢字の書き取りをさせられていたようで、本人はさすがに三年目に入ったら仕事の手伝いをさせてもらえるだろう、と期待していたようだ。だが三年目に入ってもあいかわらず漢字の書き取りが続いた。漢字の手本は細明朝、英字はオールドローマンと決まっていた。


 ある日、自宅のリビングで雑談している時、白井晟一はふとこんなことを洩(も)らした。

  〝あいつは何故漢字の書き取りをさせられているのか、さっぱり判っていない!〟

  〝今や本だの雑誌だの、沢山出ている。それをペラペラめくって、気の利いたものを参考にすれば、いっぱしの建築が出来ると思っている。漢字の一文字だって優れたものってのは何百回、何千回書いたって真似(まね)ることができない。真似るってのはそんなに簡単にできることじゃないんだ。それを判らせるためにさせているのに、あいつはさっぱり理解していない!〟

 私も不思議に思っていた。情報時代の走りの様相を呈していたから、私は共感をもってその話を聞いた。この日はその謎が解けた一日だった。

 

 T君は4年目に、イタリアのカルロ・スカルパの元へ旅立った。数年後に帰国してから一度会ったが、白井晟一の指摘した認識は変わらないままのようだった。