2022年10月17日月曜日

 コラム291 <生(しょう)を愛すべし>


 〝生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや〟

 『徒然草』第九十三段にある言葉である。

 今日一日の存命を喜んで過ごそうが、悲しんで過ごそうが、自然は同じように時を刻み、一日一日が過ぎてゆく。

 そんな刹那(せつな)の人生をいかに生きていくべきか、倒れてからのこの5年近くを、自らに問いながら生きてきた。あまりに多くの人の世話にならなければ、不自由な身体は生活していけないからである。

 答えを求めているのではない。感じる手掛かりを求めながら歩み続けている、と言った方がいいかもしれない。


 上掲の『徒然草』の文の枕には〝人、死を憎まば・・・〟とあるのだが、憎む前に存命を悲しんでいては、その人の生はすでに死んでいると言っていい。高齢化社会というだけでなく、病に沈んで生きる意欲を失っている人や、先に何ら希望を見い出せぬまま一日一日の朝を迎えている人々は、辛く悲しいことだが日々に死を重ねるのである。

 

 喜びと感謝は同じコインの裏表。ちょっとしたことで表情にサ~ッと光が差すのを入院生活中に幾度も目にしてきた。言葉を交わすことで、一人でないことを知るのかもしれない。生(しょう)・老・病・死を人間の四苦と呼んだりするが、生のみが喜びの対象で、死は悲しみの対象だというのでは人生の辻褄が合わない。これらはどう見ても一体のものだからである。そのように心得て、一日一日の存命としっかり向き合っていこうと思う。