2022年7月18日月曜日

 コラム278 <何を目標にすれば、地球を救う道が開けてくるか ── その②>

       ──日本での試み──


 

 小学3年の時に父は本家から独立し、となりの十文字町に移り住んだ(ラーメン好きの人はご存知だろうが、全国的に有名な『三角ラーメン』のある町である)。

 父の仕事は、祖父が始めた写真館を本家の伯父(父の兄)と二人で継いでいた。今思えば、写真の世界が活況を呈していた時代であった。電動ポンプなどは後の話で、若い頃は印画紙その他の水洗にも、手こぎポンプの井戸水を使ったものだと父から聞いて、大変だったろうなあ、と思ったのを記憶している。

 さらに山の方の私の親戚の家では、山の湧水を台所に引いて使っていた。その水量も豊かであった。


 私が大学2年の時だったか、建築科の学生を中心としたヨーロッパ旅行の企画があって、それに参加した時のこと。  町の人々がボトル入りの水を買って飲んでいる姿に驚いたものだ。〝日本じゃ考えられないなあ!〟などと仲間達と話したことを想い出す。

 あれから半世紀───この日本でも今やすっかり当たり前のこととなっている。こういう状態になったのには必ず原因がある。

 〝全国どこでも地下水を飲めるものとする〟

 何十年、何百年かけてでも、汚染の原因を探り、その解決に取り組み続ける。夢のある話ではないか。この大目標を達成するための取組には、重要な環境問題の課題がほとんど包含されることになるからである。これによって、大方の人為的環境問題に片がつく。