2019年10月21日月曜日


コラム 135 <救急病棟 その①>

 脳出血とは脳に激しい痛みを感じ、バタンと倒れて意識を失うもののように思っていた。だが私の場合は全く違っていた。
 2018年2月11日午後1時から3時までの定例勉強会後ある建主との打合せを終えてスタッフが準備してくれていた遅めの昼食を自室で済ませてお盆を寄せようとしたら、どうも左手に力が入らない……おかしいな、と思っているうちに全く力が入らなくなった。勉強会直後だったしスタッフも多く残っていたから誰かを呼んだものだろう。Y君が二階に登ってきてくれた。〝どうも左手に力が入らないんだよ〟などと言いながら椅子から立ち上がろうとしたら左脚にも力が入らず、床に崩れるようにへたり込んだ。Y君が〝すぐに救急車を呼びますから!〟と言った所まではしっかりと覚えている。その後救急病院に運ばれてMRI他、一段落するまでの間はうる覚えだ。視床出血であると告げられたのもはっきり覚えている。(翌日であったかもしれない)
運ばれた救急病院は東京本部からそう遠くない〈イムス三芳総合病院〉

多くの人に言われたが私は運がよかった。
第一の好運は
マイナス20度にもなる冬の山小屋から帰塾したのが前日の夕刻であったから、これが山小屋で倒れていたら間違いなく凍死していただろう。
第二の好運は
勉強会後多くの人がまだ残っている時間帯であったこと。
第三の好運は
日曜日であったのに運ばれた救急病院のその日の日直医が脳神経外科の先生であったことだ。(余談だが、後に那覇空港で財布を無くして困り果てていた青年にお金を貸したかあげたかしてTVにホットニュースとして流れたことがあったがその先生がこの時の私の担当主治医であった。偶然とはおもしろいものだ。)

その後救急病棟に何日位居たか定かではない(おそらく一、二週間といったところだっただろう)が、そのあと一般病棟に移された。
命も落とさず、こういう好運はまだおまえにはこの世でやることがあるという証だなどと言われるが、この辺の真理のほどは私には判らない。さまざまの条件で生かされたことに間違いはないからそう信じてやれることをせいいいっぱいやるしかない。