2016年11月21日月曜日


コラム 64  情報  

外から取り入れるばかりが情報ではないと気付かされたのは、山中生活においてだ。 

TV、新聞、雑誌――勿論パソコンも無いし、インターネットの恩恵にあずかることも無い。困りませんか?とよく聞かれるが、あれば便利な時があるだけで、困ることなど何も無い。それでなくとも外から押し寄せる情報の多さに辟易しているのだ。これ以上増えたら、私の身体は拒絶反応を起こすに決まっている。 


気付かなければならないのは、情報源は常に外にあって、取り入れるものとばかり思い込んでいるその誤謬についてである。
外からの情報もあれば、内からの情報というものもある。さらに外からの情報が増せば増す程、内からの情報が少なくなっていく。

きっと誰にでも、泉の如く湧き出ずる内なる情報源というものがある。インスピレーションの類だ。それはこの身体を通して、どこからか直接的にやってくる。
我々はこれまで、食べること、摂取すること、取り入れることにばかり関心を向け過ぎてきた。もうそろそろ、身体内から湧き出ずる内なる声に耳を傾けるべき時だ。
取り入れることにばかり懸命の、辟易満腹の身体、消化不良の身体を考えてみるがいい。
人間はそのストレスでさらに食らい、取り入れると言う。