2015年10月12日月曜日


コラム 6 <恵みの雨に地球を思う-その②>
 

 私の仕事場《住まい塾》東京本部には、今のところエアコンはない。私は、真夏は山中暮らしだから山に発つ前に皆に次のように言い残す。

    <夏季生活心得五ヵ条>
        1 早寝・早起を心掛けよ
    2 午前ダッシュ
    3 午後惰性
    4 シャワー自由・トイレも自由
    5 ビールも自由、但し4時から 

冗談のように思われるかもしれないが、半分は真剣だ。地球を益々暑くする悪循環に易々と与する訳にはいかないという思いと、原発を必要としない国づくりに対する小さな意思表示だ。
 私は市井の一人として専門家達のようにむずかしくではなく、また政治家達のようにややこしくでもなく、素朴にこんな風に考える。
 山の一画で感じたように、まずは緑化事業をどんどん推進することだ。それと同時並行に我々の仕事場のように窓を開け、クーラーをやめるところを増やしていくことだ。所沢市では学校からエアコンを無くそうとして物議をかもしたが、その気になれば止められる学校など全国に沢山あるのではないか。 

 そのためには「風通しのいい建築」を設計しなければならない。が、今の建築基準法に採光面積の基準はあっても風通しの基準はない。住宅についても同様だ。クーラーに頼るのがすでに前提になっているからなのだろうが、これは間違っている。高気密にし過ぎて24時間の人工換気を義務付けるなどと愚かなことをやっている暇があるなら、こちらの方がはるかに先ではないかと思う。生存基盤上の喫緊の課題なのだから・・・・・。
 これまで住まい塾の特集を幾度も組んでくれた建築思潮研究所(「住宅建築」)の編集室は都内両国駅に程近いビルの中にあるというのに、クーラーは付いてはいるようだがいつ行っても窓が開けられていて、使用は極めて限定的だ。編集室だから紙など風で飛んだりしないものかとこちらの方が心配になるが、ああいう姿をみていると、これはかなり覚悟の問題であるように思えてくる。 

「大胆な政策をもって冷房をやめていく、減少させていく。」
国の方針がそうと決まれば、日本のことだ。環境に負荷をかけない建築上の工夫、素材の開発、生活上の知恵もさまざまな形で生まれてくるだろう。
 八ヶ岳山麓でも標高1000メートル付近の舗装だらけの街に降りていくと蓄熱放射の影響で極度に暑い。こうした現象を見るにつけ舗装材の開発も真剣に考えてもらいたいものだと思う。 そしてやはり何よりも樹々を政策的に増やし、各人、各戸、各所でそれに向けた努力を継続的に、辛抱強く重ねていくことだ。
 樹々を植えて緑たっぷりの町にしていくこと、特に夏は繁って太陽をさえぎり、冬は葉を落として太陽を迎え入れる落葉樹を中心に植えていく。これによって、日本に恵みとして与えられている季節感もあちこちによみがえってくるだろう。都市におけるエアコンの必要性も次第次第に減少していくだろう。高原を走る車はかつてのように窓を開け、さわやかな風を受けながら走る姿も見られるようになってくるだろう。 

 しかしこれを現実のものとするためには、落葉をゴミのように考えて隣家に苦情を持ち込むなどの愚を犯さぬ国民になることが必要だ。枝が出ている、葉が落ちる、大木は伐り倒せ!・・・・・こうしたことが今日では日常茶飯だ。これに心をいため、樹々を植えることをためらう人達も多い。近隣トラブルにまで発展するようなケースもめずらしくない。
 こんな感覚では緑豊かな街の実現など夢のまた夢。私はかえって、“どんどん枝を伸ばしあい、どんどん葉を落とし合おう”といった環境条例もしくは憲章を設ける自治体が出ないものかと思う。落葉が気になる人は自分のところの範囲は自分が掃く―――これ位のおおらかな気持ちが必要だと思う。京都には道路のことなのだろうが昔から隣一尺まで掃く慣わしがあると聞いた。配慮し合うがあまり出しゃばりもせずといった気持ちを、この一尺に表しているのだろう。

 日本人の元々はもっと大らかなものであった。それに我々が酸素を吸い、二酸化炭素を吐いて生きていられるのは、樹々達のおかげではないか。
 どこにも先がけてこんなことを大胆に試みる街はないものか。一つでも成功すれば見習う街がひとつ、またひとつと増えていくだろう。
 やがて日本という国全土をあげてこのような取組みを続けていくならば、クーラー激減の社会実現も夢ではないだろう。また、こうした取り組みが原発を必要としない国づくりへの足掛かりともなっていくことだろう。